九月に入ってから、古雑誌の整理の仕事なんかをしている。古雑誌といっても雑誌そのものを相手にしているわけではなく、マイクロフィルムから起こした複写が相手だったりして随分と助かっているのだが、その内容は十年二十年前なんてものじゃない。大正時代から始まって、今扱っているところはといえばやっとこさ昭和に入ってきたところ、時代的には第一次世界大戦を数年後に控えた、昭和一桁台だ。
さすがは大正昭和時代というべきだろうか。邦楽の一流派の機関誌といったものなのだが、内容は邦楽にとどまらず洋楽にまで広範囲にわたっており、まさに当時の最先端とそれらを貪慾に吸収しようとした先達の意が、がひしひしと伝わってくる。
大正時代に書かれた記事に、つい数年前にその効用が謳われ喧伝された「オゾン」についての記載があり、未来派音楽の騒音調整器 (Intonarumori) の実演に聴衆として実際に触れた体験記が紹介されているなど、平成の世から振り返っても、決して懐古趣味にとどまらない内容の充実がある。古さは否めないものの、先達の活気はいまだ古びていない。
さて、本日ページの抜けを点検するために広げた昭和五年の記事の中に面白いものがあった。歌詞の翻訳について触れられた一記事に、ドイツ人の日本語に訳した「ローレライ」が引用されていたのだ。このドイツ人というのはドイツ大使館に勤務していたらしく、日本通が高じて自国の歌曲を日本に紹介したいと思ったのだろう。筆者の言によれば、明治四十年ごろのことらしく、そういう意味では当時における懐古趣味というわけだ。
その訳詩はコピーして今手元にあるので、以下に引用してみよう。
「ロレライ」さま
わたくしは、たくさん、こまる これなんですか、わからない。 せんだつての、話ある その考へ、毎日出来ない、 お天気少しさむくろいです、 ライン河おとなしく来ます、 地蔵坂、面白いです、 おてんとさま、寝ます。 一番別嬪さん、ねえさん、 二階です、面白い、 金のけつこうなけさん、 金のかんざしよい、 金、おなしことブラシ、 そして歌うたひます、 その歌のやかまし、 上等、ほんとに御座ります。 小さいサンパンの船頭、 心たくさん痛い……、 あぶないよ、見ませんと、 見ます、ばかし、二階、 といつしよに、船頭とサンパン、 唯今、みなしまい…… ロレライ出す船サランパン けれども……仕方がない。
意味がよく分からないのは昭和五年でも同じだったようで、注釈が入っていたので、ちょっと参照してみよう。
とまあこんな感じなんだけれども、後で文末に明治三十七八年ごろに近藤逸五郎というドイツ文学者が訳した有名な訳と原語のテクストをのせておくので、参照してください。そうでもしないと、分かりません。
さて、先ほどの「ロレライ」だが、初めてこれを見つけたときは、とんでもない訳がついたものだと僕も笑った。けれどもすぐに笑ってはいられなくなった。充分に習得していない言語での作文というのは、実は自分が気づいていないだけで、「ロレライ」に同じなのではないか、という恐れがよぎったのだ。
そう、僕は怖い物知らず(恥知らずが正しいかもしれない)にもフランス語のWebサイトを開設している。このサイトのトップページからたどれる Au coin du monde というのがそれだが、考えればなんという大それたことだろう。
仏作文の際には、出来るだけ間違いのないよう、辞書を十全に引き、自分でも分からない文章は載せないように心がけてはいるものの、実は自分だけがそう思っているだけで、大なり小なり「ロレライ」の同じ轍を踏んでいるかもしれないのだ。しかも一番おそろしいのは、その誤りなり奇妙さが、肝心の自分には判別できない、というところだ。
果たしてフランコフォンたちは、このおかしなフランス文を見て笑うだろうか、それとも世界の片隅にいる哀れなフランス語の徒を暖かく見守ってくれるのだろうか。
そう考えると、僕には明治のドイツ人外交官氏を他人とは思えないのである。
ロレライ(近藤逸五郎訳)
なじかは知らねど、心わびて、 昔の物語(つたへ)は、そぞろ身にしむ。 寂しく暮れゆく、ラインの流れ、 夕日(いりひ)に山々、赤く映ゆる。 美はし少女(おとめ)の、巌頭(いわほ)に立ちて、 黄金の櫛とり、髪のみだれを、 梳きつつ口吟ぶ(くちすさぶ)、歌の声の、 神怪き(くすしき)魔力(ちから)に、魂もまよふ、 漕ぎ行く舟人、歌にあこがれ、 岩根も見やらず、仰げばやがて、 浪間に沈むる、ひともふねも 神怪き魔が歌、歌ふロレライ。
Lorelei (Heinrich Heine)
Ich weiss nicht, was soll es bedeuten, dass ich so traurig bin; ein Maerchen aus uralten Zeiten, das geht mir nicht aus dem Sinn. Die Luft ist kuehl und es dunkelt, Und ruhig fliess der Rhein; der Gipfel des Berges funkelt im Abendsonnenschein. Der Gipfel des Berges funkelt im Abendsonnenschein.(エスツェットはssに、ウムラウトは母印の後にeを置いて代えてある)
気づいた人もいるかもしれないが、「ロレライ」さまの訳は奇数行と偶数行の脚韻が踏まれている。かなりの労だったと思う。素直に敬服したい。
「ロレライ」さま及び近藤逸五郎訳は、田邊尚雄「天山荘楽談」『都山流楽報』第252号,10-12頁。を、Lorelei 原語テクストは、『テレビ ドイツ語会話』1999年11月号 東京:日本放送出版協会,41ページ。を参照した。