昨夜のこと、ニュースを聴いた。
フランスで……
いや、この日が来ることはわかっていたんだけど、きっと大丈夫だ、平気だと高を括ってはいたのだけれど、やっぱり僕にはショックだった。
New iBook 発表……
CPUがずっと速くなりHDも増量、DVD-ROMドライブ搭載でさらにFireWire。
この日が来ることは、購入を決めたときにも分かりきっていたことだった。これがコンピュータの世界の常識だということは分かっていた。
今から五年前、初めて買ったコンピュータがMacintosh、Performa 550だった。CPUはMC68030。かなり遅いマシンだ。いろいろなことをするには非力で、それを売って新しいマシンを買うという話もあるにはあったが、犬でも三日飼えば情が移る。結局手放すことは出来ず、Performa 550は家族に開放され、僕は少しでも速いマシンをと思い、LC 630を買った。
当初はPerforma 550に較べてもかなり速いLC 630に満足していた。時代はもうPowerMacintosh全盛期となっていたが、それでも僕はLCでよかったんだ。
けれど、時代は人を待たない。あっという間に世の中はPowerPC搭載機一色となって、LC 630などの、非PowerPCマシンは肩身が狭かったんだ。68Kと呼ばれる彼らを使っているのは、古くからのユーザーでMacintoshが好きでたまらないという人が多いのだけれど、それだけがメインマシンであるというのは、辛いことだった。
なにが辛いと言っても、ほとんどのソフトが68Kをサポートしなくなっていき、さらには講読していたMacintosh雑誌の付録CD-ROMさえも、68Kではほとんど活用できなくなっていったことだ。
徐々に、コンピュータの最前線に対して目を閉ざし始めていた僕は、ついに完全に目を背けた。雑誌の講読をやめ、コンピュータの情報は僕から遠ざけられた。いや、自分が遠ざかったんだ。
1998年の正月、今から二年半前のことだ。
それが今年の六月になって、iBookを購入した。能力的には上のiMacに心引かれたものの、ポータブルのどこでも使えるという利便性が魅力だったので、iBookにしたんだ。
別にマルチメディアタイトルやゲームに興味があるわけではなかったので、CD-ROMで充分。ただFireWireがないのは気になっていたけれども。
それが今回の発表だ。近々この日がやって来るとは思っていたんだけれど、もう少し後だと思っていた。この目算の誤りは、コンピュータから目を背けていた時代の、情報収集への怠慢さが原因だろう。
けれど、僕はiBookを六月に買ってよかったと思ってるんだ。値段も高かったし性能も劣ってはいるけど、それでもよかったと思ってる。負け惜しみじゃなくて。
iBookを夏以前に買ったことで、僕はこの夏の間、本当に楽しいコンピューティング環境を手にすることが出来た。
夏、暑苦しくて嫌で嫌でたまらない夏だったけれど、その有り余る時間を利用して、二年もの間手も入れず荒れ放題に任せていたWebページ――ほかでもない、このこととねだ――を更新することも出来たし、今もこうして更新し続けているのも、この実り多い呪われし季節のおかげだろう(僕は本当に夏が嫌いなんだ)。
その意味では、2000年夏は僕にとって、コンピュータとの蜜月だったんだ。
これからもコンピュータは進化し続けるだろう。どんどん速く、速く、高みへ。
その度に新しい技術、マシンに心動かされ、揺さぶられるのが僕達ユーザーだ。
新しい技術への憧れ、素晴らしいマシンの出現、そして自分の愛するマシンが刻一刻と古びていくことへの哀しみ。
それは、コンピュータに魅せられた僕達の業、逃れえない宿命だ。
でもならば僕はいいたい。僕はこのマシン――iBook――を、恐らくはLCを愛していたように、愛し続けるだろう。本当にこのマシンで快適なコンピューティングが出来ないと思ったその時は、速く素晴らしいニューマシンを手にするかもしれない。
けれど、LC 630はまだ、うちで、家族の共用マシンとして、プリンタサーバとして、現役で活躍中だ。Performa 550も、うちでの奉仕は引退してしまったけれど、友人宅に出張し、ネット端末として活躍しているはずだ(たまにはメールもくれ、娘を嫁に出した気分なんだ)。
つまりなにが言いたいというと、僕はきっと、将来のニューマシンを手にしたとしても、今手に触れキーを叩いているこのマシンを捨てることはおろか、ないがしろにすることはないだろう、ということだ。
足りない機能は工夫で補えばいい。すべてをコンピュータの数値に還元するのではなく、コンピュータとユーザーである僕がお互いに手を差し伸べあって、お互いの出来ることを出来るだけ頑張ればいい。
僕はそう思っている、そう思っている。