人生の真空地帯に生きている男、snowdropとしてはオリンピックでは書かないつもりだったのだが、開会式を観たら書かずにはおられない気持ちになってしまった。
でも、言葉が見つからないんだ。思うところはたくさんあるのに、それを書けないというのは情けない。言葉によって存在し、言葉によって生きている自分としてそれほど情けないこともないが、そうなんだから仕方がない。
あらゆる国々から人々が集まり競う、その単純にして崇高な行為の裏に、目を背けたいような出来事があることも分かっているけれど、これだけのたくさんの国々が、これだけのたくさんの人々に見守られて、ひとつのことを考えているというのは、理想主義的に過ぎるとは思うけれども、本当に素晴らしいことだ。
僕の記憶に残るだけで一番古いオリンピックの記憶はロサンゼルス大会だ。ロケットマンが飛んだあの開会式から今年のシドニー大会へと移る間に世の中のあり方は大きく変わり、我々の目指すもの、目指さなければならないものというのも変わってきたものだと、開会式を観て心から思った。
開会式のセレモニーの部分、そして行進。特に北朝鮮と韓国がともに歩いていたところ、行進の最後に入場してきた個人参加の選手達、それを見て感動したんだ。
オリンピックのたびに沸き起こる即製の国家主義、僕はそれにいまだ馴染めずにいるけれど、それでもこうして開会式を、そして競技を見ると、国家という枠組み、宗教、イデオロギーの対立という不幸な関係が、いつか解消されるのではないかと思いたく、信じたくなってくる。
このところ伝え聞く、北朝鮮と韓国の和解ムード。これからどう動くのか分からないけれど、それでも僕はいつかこの二つに分断された国と民族が、再びひとつのものと還る日が来ると思えてくる。
戦争や紛争が絶えたことのない地上に、いつか不幸や不運、悲劇から開放されて仕合せな世界が実現するかもしれないと、夢想さえしたんだ。
今回のオリンピック、これだけはみたいと思っている競技は、テコンドー、レスリング(だって、あのカレリンが出るんだぜ)、射撃、です。