また占いの季節がやって来てしまいました。この季節になると僕は占い師になります。タロットを繰り未来を見通す、というのはかなり言い過ぎ。正直なところオカルトや占いを全否定までしないものの、かなり懐疑的に見ているわたくし。占いを信じて来てくれるお客さんには、なんか申し訳ないなあ、と心苦しい次第。
さて、今年で三年目の占い稼業。今年は蓄積した疲労のため、やめたくて仕方がなかったのです。なんというのか、普段はのんきな窓口業務のわたくしが、この季節のこの日に限り占い屋をやってるというのも、向後の窓口での反応のことを考えると少々気後れもするもの、なんかやだなあ、と思うのでございます。
嫌な理由は他にもあります。占いというのは当たるも八卦、当たらぬも八卦。本当のところ、僕は当たらない占いを目指しております。というのはなまじ当たると、いい目が出たときはいいけど、悪い目だったらその人の意気地を挫きかねない、ということからです。そんなことで挫ける意気地なら、最初っから挫ける運命にあるんだよ、とも思いますが、そう思い切れない気の弱さ。出来ればいい目が出てくれればいいねえ、と思います。
それにまた、いい目ばかりでも悪い目ばかりでも困る。白黒がいやにはっきり出て、それとは違う現実が訪れたら、後からあれこれ言われます。これがまた嫌なのです。最初から当たるも八卦、当たらぬも八卦、僕の占いは十二三から十五六は外すと最初からいってるのに、そんな後のことの責任までとれません。
だから、行きずりならともかく、知ってる人を占うのには疲れてしまったわたくしなのでした。
でもね、こうやって消極的なわたくしに、お客さんが「今年も占われるんですか?」って。「多分ね」って答えて「必ず行きます」といわれたら、頑張らないわけにはいかないでしょう。儲けもなにも期待しないが、女の子の期待には応えたいという僕なのでありました。
だから今年はいうつもり。当たるも八ヶ当たらぬも八卦、うちは十二三から十五六は外れますよ、ということと、占いの結果を気にしないように、というそのふたつ。とくに、この後者にあたることが大事です。
去年のお客さんで、自分はこうこうこれこれの道に進みたいんですが占って下さいって人がいて、あんまりいい目が出てないよ。と言ったら、じゃあやめたほうがいいんですね、といわれまして、そういう意気地のなさにげんなりしたものです。
本当に大切なのは、これからの展開がたとえ悪いことだらけの逆境真っ直中であっても、それでも、石にかじりついてでも、自分の目指すもののためになりふり構わぬ体で取り組んで、立ち向かっていく意志なんじゃないかと思うのです。
占いの目が悪いのだったら、占いの結果なんて打破するくらいに努力すればいいと、むしろそれくらいの気概で取り組まなけりゃ、なるものもならないよ、というつもり。
そんなこんなで今年の方針も決まりました。明日、開店です。