ベルト着用のサインに、わたしは現実に引き戻された。ベルトが正しくしめられていることを確認するが、しかしそれでも不安は去らない。わたしは落ち着こうと手を組みあわせた。目を閉じて感じるわたしの手先は、固くこわばっていた。
飛行機が降りてゆく。機が高度を下げるときは、気持ちの悪さもいうまでもなく、冷えた手指、脂汗、浅い呼吸。そのどれもがいやに精神に触って、いらつかせる。日付はとっくに変わった。眠ったせいで、時間の感覚がおかしくなっている。わたしは目を開けると、モニターに表示された着陸時刻を確認し、再び目を閉じようとして、やめた。目を閉じれば、焦燥感でいっぱいになる。わたしは目を見開いたまま、しばらく前方を凝視していた。それにも堪えられなくなったとき、窓の外に目をやった。そして、わたしはなにか理解したような気がしたのだった。
わたしたちは降りているのではなく、落ちているのだ。空の、神の住まう世界から、罪深い地上に向かって、ひたすらに落ちてゆく。窓から見えるのは、飛行機の翼。フラップをいっぱいに下げ揚力をかせいでいる。遅かれ早かれ落ちると決まっているのに、飛行機はその避けられない落下に対し抵抗している。落ちないように、落ちないようにと足掻く様子、それはあたかも、人が堕落していく自身を感じながらも、必死で運命に抗う姿に似てはいないか。いずれは落ちるというのに、今を懸命に踏みとどまっている。それは、わたしたちの今日であり、明日であり、昨日であった。わたしたちの生き様は、空と地上との間にもある。
揺れ続ける機体の中で、わたしはタッチダウンの瞬間を鈍く感じ、やっと安心することができた。窓下を滑走路が通りすぎてゆく。乗客たちが動き出して、機内はにわかに騒がしくなったが、わたしは飛行機が完全に停止するまで窓外を眺め続けていた。飛行機が止まってようやく、わたしは他の乗客にならって動き出した。再び地上の人間に返ったわたしには、空の上であれほどに強く感じた神を、もう感じとることはできない。数日の後、わたしはまた機上の人になる。だが、しばらくはもう、飛行機はいい。