日本には、お年玉と呼ばれる新年一日に贈り物をする風習がある。昔はおもちゃやお菓子だったが、今ではもっぱらお金を贈る。僕が子どもだったときは、両親からお年玉として、もちろん現金をもらっていた。一月には、気前のいい親やたくさんの親類縁者を持つ子どもは、莫大な収入を得ていた。残念なことに、僕にはそのどちらもなかったけれど。
臨時収入を得た子どもらは、買い物に出たくてしかたなかった。だが人生は人の思いに抵抗する。子どもだった僕は、一月四日まで待たねばならなかった。なぜなら、店という店は正月三が日の間、しまっているからだ。あいているのは、神社仏閣や参拝客を当て込んだ飲食店、後は公共機関などなど。どれも子どもには用のないものばかりだ。
今は、正月一日からデパートでさえ開けている。なんて便利なんだろう! 子どもたちはもう待たなくてもいいのだ。けれど、便利さが情緒を追いやってしまうのもまた確かなことである。
(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moi,オリジナル:フランス語)