筆の触感

 弘法筆を択ばずというが、実際はかなりよく吟味したらしい。確かに、名人ともなればどんな道具であっても達者にこなすだろう。だが道具の差は大きい。僕みたいなへぼでもわかるぐらいだから、能書となればなおさらだ。

 書をはじめて一年半あまり。筆を初めてかえた。当初は道具にはこだわらないつもりで、ただただ書くばかりの気でいたのだが、実際にかえてみるとその違いに愕然とする。今まで使っていた筆も決して悪いものではないと思う。だが穂先の戻りが弱かったため、一字を書いた後、次の字に移る前には硯の上で整えなければならず、運筆のままに字から字へ移れば、どうしても荒れてしまうことが悩みだった。そして、これを自分の腕の未熟と決めつけていたのだった。

 ところが、試しにとわたされた筆は書く前から様子が違っていた。はじめから穂先に弾力があり、触れると柔らかく押し返してくる。もしかしたら今までの悩みも解消されるのではないかと期待をして使ってみると、果たしてそのとおりだった。

 筆尖が伝える触感は豊かで、返し、当たりともに好くついた。むしろ、かな用に用いている筆の触感に近く、そのためか行書において効果が著しい。緩急のある書きぶりは、字そのものはちいさくしまっても、決して貧相にならず、むしろ伸びやかにさえ見えて良好。一字を書き終えた後も、穂先はいきいきと生命力に満ちて、字の求めるままに次へと運ぶことができる。あまりの出来の違いに、恐れ入った。

 だが、筆に力負けして、楷書はまったくいいところがなかった。翻弄されて、起筆からすでにめろめろといった次第。点も打てず、線も引けず、一に戻っての出直しになった。

 人が道具を選び、道具も人を選ぶ。常に使われるものは使うものを試すのだ。今はこの新しい筆に教えを請い、手指もて習い覚えていくほかないだろう。いずれこの筆の個性でもって書ける日が来たときは、敢えてもとの筆に帰りたいと思う。


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公開日:2001.04.06
最終更新日:2001.09.02
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