ふと結婚の話になったので「僕に甲斐性があったらすぐにでももらってあげるのに」と、切り出した。そして、「甲斐性はないけど結婚してくれる?」
彼女は、いやだと断った。「もうこの歳で苦労はいやや」
まだそんな歳ではないといったのだが、彼女は続けた。
「一緒に苦労とかは若いうちだけやで」
「そうか、やっぱり甲斐性は必要なんやな」
そやで、と彼女は答える。
「今まで結婚とかの話はなかったん?」
「一回あったけど、いややったからやめた」
飯炊き婆みたいな生活はいやだったのだと。自分の将来が何十年も先まで決まって見えたのも、断らせた理由だそうだ。
「つきおうとったん?」
「わからん」
「わからんって、なんやねん。あんたのことやん」と、ひとしきり笑う。
僕はいった。「これでも一応はちゃんとした仕事について、甲斐性をつけようという計画はしてたんやで。いつまでも将来性のないのもいややったし」
「どんな仕事なん?」
「本屋。中途採用の募集があってんけど」少し間を置いた。「考えるところがあってやめてん」
「なんでやめてんな」
「基本的には、今の生活スタイルが気に入ってるし。それに、もしちゃんとした就職したら、頑張らなあかんやろ。きっと、僕ものすごい頑張ると思うねん。多分生活のほとんどを仕事にしかねへん。それはそれでかまわへんねんけど、そしたら僕、女は家にいるべきとかいうようになってしまうと思ってん」
僕は、自分の中にもある男性的な思考や言動を憎んでいた。そういう男にはなりたくなかった。「そやから、やめてん」
「わたし、仕事が忙しくて帰ってきいひん人がいい。出張ばっかりとかで」彼女がいい出す。「毎日顔合わせたない」
「そんなん、結婚する意味あらへんやん」と、僕が突っ込むと、
「そんなことない」彼女は抗弁する。「子ども産んで、ちゃんと育てるんやもん」
「僕、毎日妻と会いたいで。一年三百六十五日きっちりとはいわんけど、ちゃんと家事やって、子どもの世話して、妻の帰り待ちたいわ」
信号待ち。走り出して、僕が口を切った。
「一応、結婚はあきらめててん。甲斐性ないしなあ。そやけど、子どもだけは欲しいねんな」
「わたしも。わたしも子どもだけ欲しい」
「せやけど、あんたは可能でも、僕はちょっと条件的に厳しいで」僕は窓を開け始めた。「ごめん、ちょっと酔ってる」
「電車で帰ったらよかったのに」
「あんたと一緒に居たかったんやんか」
しばらく沈黙した後、風にごうごうと顔を吹かれながら、僕がいった。「甲斐性のある妻を探すわ」
「そやわ。それがいいわ」
「女医さんとかいいなあ」
「女医の知り合いはいいひんなあ」
「外科医がいい、切ったり貼ったりするやつ」
「どっか怪我して、入院したら?」
「医者も、患者はいややろう」
「そやなあ」
もし何年か後に、お互いが結婚に対する幻想を失って、なおも結婚をあきらめていなかったら、そん時にまた会おうと約束して、そして別れた。