宿にせよなんらかのサービスにせよ、予約をとろうと思えば必ずいわれるのがこれ、「携帯談話はお持ちですか?」の一言。正直、これほどにあちこちで聞かれるとは思わなかった。そう、僕は携帯を持っていない。
確かに持っていれば便利だろう。待ち合わせや急ぎのときなど、これほど役立つ連絡手段もまたない。メールも使え、ネットにも接続して様々な情報サービスも利用できる。それに、移動している個人を捕まえる手段としてこれに優る有用性はなく、なるほど重宝されるというものだ。
携帯の便利さを知りながら持たないのは、思想やなんかがあってというわけではない。むしろ、携帯はいつも欲しいもののひとつに数えられている。
今から数年前、僕は携帯電話の導入に積極的だった。生活環境の変化によって自宅にいる時間が激減したため、連絡手段を確保しようと思ってだ。携帯電話とPHSの値段やサービス範囲を比較し、各社毎の資料も手に入れ、いざ後は手続きだけいう段になって、結局購入は見送られた。
理由は難しいことではない。自分の性格からして、授業中、仕事中は電源を切るだろうし、読書や睡眠に当てられる電車での移動中も同様だろうことは容易に予想できた。そもそもの電話嫌いが、常時電源オンで待機するとは到底思えない。それに、ひと月に一二度電話を使えば多いほうという人間が、携帯を持ったからといってかける先もなければ、かけてくる相手もあろうはずもなく、むだ遣いの筆頭候補でしかない。
持てばかかってくるものだという、知人の意見は結局却下された。さほど状況も変わっていないため、この先も導入に積極的にはなりえないだろう。それでもなお魅力的であり続ける携帯端末としての機能も、数ヶ月に一度しかモバイラーにならないのでは必要ない。
結局、こうして原始人状態は続く。ただ、連絡の不便さを詫びる必要はないのに、ついつい謝ってしまうのだけはなんとかしたいと思う。