そういえば、昨日の晩のお父さんはちょっと変だった。夕刊を見ながら、ぶつぶつ独り言をいっている。なんだろうと思って見てたら、突然振り返ったお父さんと目が合ってしまった。やばいって思ったんだけど、とっさのことで目が離せない。お父さんはそんな私にかまわず、「なあ」って、聞いてきたんだ。
「お父さん、顔色悪くないか?」
「え? 別にいつもと変わりないんじゃない」
「そうか、いつもと変わりない、か」私の気のない返事に、お父さんはなにか考えているようだった。一体、どうしたってんだろう? どこか体でも悪いんだろうか。
学校の帰り道、仕事から帰ってくるお父さんと一緒になった。うちは父子家庭なので、お父さんは残業無し、休日出勤も極力無しなんだ。だから早く帰ってくる。クラブで遅くなる私と、帰りが同じになることが多かった。
並んで改札を通って駅から出たとき、お父さんが言った。
「ちょっと、薬局に寄りたいんだ」
昨日の晩のお父さんを思いだして、なんだか嫌な感じがした。私は、そしてお父さんも、お母さんを病気で早く亡くしている。だから二人とも、家族の病気に対して異常なほどに敏感だ。
駅前の薬局に入ったけど、お父さんが探しているものはなかったようだ。店の人が、踏み切りの向こうの、新しく出来たドラッグストアに行ってみてはと、お父さんに話しているのが聞こえた。降りた遮断機の向こうを、電車が音を立てて通りすぎてゆくのが見える。私は走る電車を見ると、なぜだか不安になるんだ。理由はわからないんだけど、お母さんがいなくなったことに関係していると、私は勝手ににらんでいる。
ドラッグストアには、私も入った。この店に入るのは、初めてだ。お父さんは商品棚を見回しながら、ゆっくりと店内をまわっている。そして、ふと足を止めた。
「あった、あった」
養命酒だった。大きな赤い箱をお父さんは抱えるようにして、レジに向かう。お父さんが探していたのは、養命酒だったんだ。レジの人が、お父さんに話しかけていた。
「お客さんが、飲まれるんですか?」
「ええ、そうです。最近ちょっと疲れ気味で――」
もしこれで効かなければ、ほかのものもありますよという店員さんに、その時はまた寄らせてもらいますとお父さんは応えていた。お父さんがお金を払っている間に、私は先に外に出て、袋を下げたお父さんが出てくるのを待っていた。
「お父さん、おやじー」
「お父さん、おやじか?」
「うん。おやじ、おやじ、おやじー!」
うちに帰ると、お父さんはいそいそとビンの封を切って、小さなコップ(?)に養命酒を注いで飲んでいた。注ぐときの音があまりにいい音だもんだから、後で少し飲ませてもらったけど、おいしいとはちょっと思えない味だった。お父さんは、意外とおいしいなんて言ってたんだけど―― 私には、お父さんの味覚はちょっとわからない。