本の喜び

 届いた本を受け取って、その重さを手に受けたときの高揚感は、なにものにも代えられない。装丁に触れ、紙の手触りに指を走らせる。ページを繰り目次を一からつぶさに見れば、快が背筋に走り抜けて、目はくらくらと酔いながらも明晰。文字を追うごとに心は染み入り、咽喉は感嘆の声を漏らすほどに本はいい。これほどの喜びは一級の本に限られるけれども。

 紙上に穿たれた一字一字が踊る。文意は停滞なく流れ、始めは垣間見るがのごときに過ぎなかった理解が、読み進むにつれ広く切り開かれ、高遠に満ちる。自然、人心は融け、書に文に一体となり、自分が本か、本が自分かの境涯を超えたその時、本の世界は出現する。情報はなく、媒体も消え、時間のくびきからも放たれて、一点に凝縮された何かを言葉に写すことも叶わぬままに、現実に戻ってはじめて本が読まれたことを知覚する。存在したのは、美のみである。本とは、美の体験にほかならない。

 本において美しいものとは、文字ではなく、文でもない。字体、組み、余白、挿画、紙質に浮かぶ肌合い、匂い、重さ、温度に至るまでが渾然として文を支え、美の形象を描き出す。文は目で追い脳で読むが、本は目、鼻、耳、肌、咽喉、気息、あらゆる感官を頼りに読まれるものなのだ。

 子どもの頃は、書林に潜り、手に余る大本に遊んだ。出会う本々に感銘を受け、千々に乱れ、涙を零し、溜息を吐き、すべてに酔った。本さえあればなにもいらない。どんな時でも、本さえ側にあれば平気だった。片時も本を離さぬ子ども時代は、今この自分に直接に続いていると実感する。

 最近は、本を読む時間が少なくなった。まとまった時間を本に費やし、溺れることも減る一方だ。本は情報源として即物的に消費される、悲しい存在に貶されてしまった。だが良い本に出会いさえすれば、一瞬にして世界は反転し、すべてを捨ててもいいとさえ思いはじめるのは昔に同じ。それほどまでに、本はいい。


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公開日:2001.04.12
最終更新日:2001.09.02
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