ものがいっぱい。それはもう、いやになるほど。人の領域を侵しながら、どんどんと増殖する勢いはもう驚異的。
誰のせいなのでしょうか。
僕のせいです。
そもそも収集癖があるところにもって、ものを捨てられない性質というのは致命的でした。それこそ、小学生の頃の雑誌が未だ手元に残っている。捨てればいいのに、いくらなんでももう見ないだろう、と思えば、時にふと思い立って見たくなる、確認したくなる。忌まわしいまでの記憶の良さは、あたかも業のようです。でも、それが趣味や嗜好のものならまだいい。というのは、いずれ本当に人間の領域がものに占領されてしまうというその寸前に、一挙焦土作戦に転ずることも可能だからです。
ところが哀しいかな僕の商売道具こそは、本、CDといったメディアです。これを振り捨てるのは能力の半分、いやそれ以上を遺棄するのと同じです。しかも、職能そのものが趣味によって支えられていると言っても過言ではないほど。いずれにせよ本の山、CDの山に埋もれるのが定めなのかも知れません。
となれば、残された道は押し寄せるものと共存する。これしかありません。ところが「延長ある物体」を収めるべき空間は、実質的に有限です。困った。これから二カ年計画でもって、棚を増やし、収容能力の大幅増を狙っていますが、そもそもが撤退戦を強いられる現状。いずれ焼け石に水でしょう。
現状を打開する策もなければ、根本治療もままならない病。なればこそ、情報化がより進むことを期待したいのです。
棄てられないのは、ハード――も棄てられないのですが、ソフトです。本というソフト、CDというソフト。情報を格納する媒体を棄てられないのなら、その情報そのものを好むときに引きだし、利用できる環境が整えば、共有化された情報が僕の棚を圧迫することはなくなるのです。
だからどうぞ、情報化、情報の共有が進んで欲しい。ものに部屋を占領されるより前に。