「こちら、お下げしてよかったでしょうか?」
先達て、食事に行った店でいわれたのがこの言葉。食器を下げた後にいわれたのならなんとも思わなかったのだろうが、これから下げようというときにいわれたので、正直面食らってしまった。
過ぎたことではなくこれからしようとすることを、過去のことのように話してはばからない。なんと、若い人の日本語は乱れたものだろうか。と嘆こうにも、自分もこういったことをやったことがあるので、人のことをとても言えるはずもない。
昔、やっていた仕事でのことだ。エレベーターガールのような仕事だと思ってもらえばいいだろう(ほんとは、全然違うけど)。お客様の案内かたがた、閉まる扉の前で待っているという仕事だ。扉は定期的に開きそして閉まるので、おおむね同じことばかりを繰り返すこととなる。それがほぼ毎日のこと、一日数時間をこうして過ごしていると、言葉は自然に口をついて出るようになる。逆に言えば、なにも考えないでしゃべるようになるということだ。
なにも考えてない言葉は、往々にしておかしなことになりかねない。ありえない時制をとったり、へんてこな単語を作ってしまうこともある。時には言葉が交じり合って、おかしなことになってくる。
それは「恐れ入ります」だった。日々何気なく応答するこの言葉が、「まもなく」に混ざった。扉が閉まろうというその時に放った言葉が、これだった。
「おそらく扉が閉まります」
その日はどうも駄目な日だったらしく、何度やり直しても「おそらく」が止まらない。焦るほどに「おそらく」はいよいよ活気づいて、仕舞いには笑ってしまった。
言葉は自動的になってはいけない。手拍子で話される言葉は空疎で、相手に届かないばかりか傷つけることさえある。けれど思わぬ間違いも時には面白く響くこともあって、悪いばかりではないのもまた真実だろう。
何事もときどきほどほどでいい。四角四面はつまらない。