手術の翌日は、いやに穏やかな気分だった。初日の慌ただしさとは対照的。まだ点滴につながれていて不自由だったけれど、麻酔もさめ意識ははっきりしていた。動いてもいいと聞いたので、点滴をごろごろ引っ張りながらロビーに行って雑誌を読んだりして、看護婦さんに元気ですねと驚かれてしまった。手術の翌日からこれだけ動く人は少ないらしい。
最初にトイレに行った帰り、点滴の管に血液が逆流しているのに気付いてぎょっとした。ちょうど病室にいた看護婦さんにこれで大丈夫なのかと聞いたら、ポケットから注射器を出して、血液を送り込もうとしてくれた。けれどそれでも血液は戻らず、点滴の薬液と一緒に落ちるのを、寝て待つことに決めた。
家族に頼んで、本を持ってきてもらう。ほとんど一週間、本ばかり読んでいた。充実した夏休みだったじゃないか。本を読むのに疲れると病院内をうろうろと散歩する。
ほどなくして点滴がとれると、移動できる範囲が一気に広がる。気分だけは元気だったので、一階まで階段で降りてみようとしたら、たった二階降りただけで力尽きた。エレベータで病室に戻る。よほど弱っているのだと、実感せざるをえなかった。
注射が嫌いで、朝晩の点滴は憂鬱だった。駆血帯を巻いて、浮いた血管を看護婦さんが探るあいだが嫌だった。針を刺して、「痛かったらいってください」。一度本当に痛いときがあったので、痛いですといったらば「大丈夫ですよ」だって。だったら聞かなきゃいいのに。
点滴に空気が混じっていたとき、いらん知識――血液中に空気が入ると心臓マヒが起こる――があったおかげで慌てた僕に、看護婦さんは笑いながら空気だめの存在を教えてくれ、加えて「50ccまでなら大丈夫よ」。あまりにあっけらかんといわれたものだから、僕もすっかり安心してしまった。
こういう大雑把な陽気さは逆に信頼感につながった。なにより、このおおらかな雰囲気が好きだった。