昔の人から電話が。懐かしく思いながらも、いぶかしげに受けてみると、予感はしたたか的中したようだ。
大体がそんな気がしていたんだ。何年も音沙汰なしで、思いだしたようにあった連絡。ということは、それこそ困った末に便利なツールを思いだした口だろう。情報源として期待されるのには慣れている。しかし道具のように使い捨てられるのは、いつまでたっても慣れない。これでも傷ついているんだよ。
話というのは、今日明日中に書かねばならない文章に関する相談だった。書いた或いは書こうとする文章に関する示唆を求められてならまだしも、純粋に資料収集の一環としての連絡は、人間性を無視した情報収集能力に期待する思惑が見え見えだ。それに、情報を食べて生きている情報生命体とはいえ、常に答えを用意できるわけでもない。ネットはちょっとした調べものには便利だが、情報源としての信頼性には、まだまだ不備が残る。信頼できる情報源としては、未だ旧来の参考資料が不可欠だ。しかし、そんなツールを自宅に揃えているはずもない。いきなりに問い掛けられても困るのだ。
せめて前日に、出来れば二三日ほども余裕をもらえれば、信頼にたる情報を揃えられるというのに。使い捨てられるうえに、役にも立てないという。二重に無力感を感じ、電話を切らねばならないのはやり切れないではないか。しかし一日の猶予があると聞き、とにかく一度調べてみて、連絡すると約束して電話を切った。そして、出来れば一度会おうと、絶対会おうと、時間を空けるからともかく会おうと、約束も取り付けて電話を切った。
学生の頃も、こんなだった。レポート作成を手伝わされ、どうしても自発的に書こうとしない彼女に憤りながら、一日を潰した。さすがに二日目はすっぽかしてみたが、あれからなにも変わっていないように思える。なのに僕はまた手伝って、結局は彼女に都合よく使われて……、
やはり僕は馬鹿なんだろうか。