占い師、二日目の終わり

 今日は雨だったので、さぞお客さんも少ないだろうと入り口に張り紙を貼ってみた。端書大の紙に「占ってます」とひとことだけ。そうしたら、今日は六時半まで昼食をとれなくなってしまった。水も飲めない、トイレにも行けない。それにしても、その間よくしゃべった。うー、思い出すだけでしんどい。けれど今日で営業は終わり、つまり今日は本年の仕事納めでもあります。

 張り紙をしたのはよかったと思う。例え小さくて目立たないものだったとしても、それで入ってきやすくなったという人が少なくなかったのだ。昨日、宣伝を一切しなかった時は、昨年占われたという人や口コミで知った人など、占い師としての僕を知っている人がほとんどを占めた。ある意味、一見さんお断り。けれど、今日は張り紙のおかげで一見さんがたくさん来てくれた。彼女らがいうには、昨日は一体なんの店か分からなかったそうだ。まあ、そりゃそうだろうな。

 年ごとに相談事の方向性というのが違っていて、今年は恋愛ごとに関する懸案が多かった。よくよく観察してみれば、恋愛ごとの懸案を持ち込んだのはリピーターに多く、それだけラポールが出来上がっているというのだろう。恋愛懸案は一見客にも多く、つまり恋愛に関する相談は、半知りの相手には持ちだしにくいことが分かる。

 恋愛懸案の詳細は、おおまかに次の三つにしぼられる。つきあっている相手とのこれから、片思いの相手とその進展、そして恋愛的出来事に縁のない自分の行方、だ。ここで興味深いのは、後者二種に見られる、特有の自己否定感情だ。自分なんか駄目だと思っている。魅力なんてないと思っている。なぜそんなことを考えるのか、僕から見れば、みな魅力的でかわいい娘たちなのだが。

 恋愛というのは、自分というものを卑下させるものらしい。特に、負け戦ともなればその傾向も強いようだ。決してあんたは魅力がないなんてことはないよといっても、決してそれにうんといわない。自分は駄目だと、頭っから思い込んでしまっているのだ。たしかに、恋愛というのは全人格的なもので、自分が選ばれなかったときのショックは果てしない。自分にはなんの価値もないかのように思うものだ。しかし、そうしてうつむいてしまったら、本当の魅力も見えなくなってしまう。決して、うつむかねばならないような娘らではないのに、それでもうつむいてしまって損をしている。

 欠点のない人間はないのであって、その欠点や足りない部分にいいようもない魅力を感じる僕がおかしいのだろうか。ちょっとだらしなかったり、要領悪そうだったり。それでも、それらをなんとかしたいと思っているところに、いじらしさを感じてしまう。それら欠点はあくまでも些細で、残る部分は絶対に魅力的なのに、それでも自分を卑下してしまうところは難しい。いっそ開き直れば、欠点も魅力に変わるはずなんだ。

 だから頑張れ女の子。今年はいろいろ勉強になりました。


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公開日:2001.11.03
最終更新日:2001.11.03
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