現実と夢幻の狭間にただよう

 当初は腹痛からだった。胃部に刺すような痛みが断続的にあり、のたうちまわるほどだった。痛みを抱えたまま横になり、うとうととすれば痛みで目が覚める繰り返しだった。ようやく痛みが引いた夕刻頃には、熱が八度まであがっていた。

 熱に浮かされながら見る夢は、現実に相克して、ともすれば現実よりも克明に思えた。真っ白い病室のベッドを夢見、目覚めて自室にいる自分に気付く。その繰り返しの途中、現実が遠くに追いやられるように稀薄に、夢の病室こそが現実であるかのように錯覚していた。

 夢の病棟のベッド管理は、情報公開かはたまた患者の自治なのか、ネット上の衆人環境でおこなわれていた。空きベッドが出ると、そこへ新患が入るあるいは移動してくる。それが目まぐるしいほどなのだった。このやり方は婦長や看護主任には評判が悪かったが、自分たちにはひどく合理的に思えた。問題視されたプライバシー漏洩や管理の不徹底などといった意見は、至極当然と理解しながらも、患者による無政府的な自治を手放そうとは決して思わなかった。病室に入ってきた看護婦さんの簡単な言葉で、安心しながら眠りにつくと、自室で目覚める。自室に眠れば、病室に帰る。朦朧と混乱しながら、夢現つにさまよっていた。

 盆に病気に罹るものではない。盆はどこの病院も休みで、仕方がないので救急にかかった。医者は腹を押して痛みがあるかを聞き、腹にくる風邪と内臓の炎症や食中毒による発熱の両方を疑った。薬が処方され帰宅。食事は咽喉も通らず、薬を飲んでも吐いた。熱は三十八度八分にまでなっていた。

 八度八分の熱に浮かされた夢は、より以上に意味不明に混乱していた。真っ白い固まりがあり、その固まりを分割してなにか機械を作っていた。その機械を作る技術は世界最高峰のもので、いわば無から有を生みだすほどのものなのだということだった。数人がかりで、一気にブロックを切り分ける。切り分けるブロックははじめからそこにあったのか、あるいは空間そのものを切り分けることで生成されるのか、曖昧として不明だった。切り分ける技術は超能力ににて、意思の力が必要なのだった。その能力に長けたものが集められ、自分もそのうちの一人だった。とくに、自分の発熱がその作業には有利という話だった。同じく集められた一人が教えてくれた。この作業にはどこかに陰謀に隠されている。そのため、彼は反逆の同志を募っていた。自分も彼に同調して、出来上がる機械、部品のいくつかが同盟に有用なものとなるよう努め、それらを隠した。普通を装いながら、その作業を続けていた。

 現実に戻るたびに、寝つけないことにいらついた。寝ようにも夢が邪魔をする。寝るたびに同じ夢に戻る。寝汗が煩わしく、それ以上に夢は疎ましかった。同じ夢は明け方過ぎまで続き、日が高くなってようやくまともな夢を見られるようになってきた。

 真っ当な夢を見るようになれば潮時。いずれ熱も引けば、夢も見なくなっていくだろう。

この数日間の推移

2001年8月13日
体温、三十八度八分を記録
2001年8月14日
小康を得る

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公開日:2001.08.13
最終更新日:2001.09.02
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