ややこしい日本の「私」

日本語における呼称について

 日本語では、文法上の主語はしばしば明確に表されない。このことは、日本語が曖昧であるとの印象を与える。日本語における呼称も、同様に混乱を与えている。例えば、女性が「あなた」と呼ぶとき、単純に彼女があなたを呼んでいると思ってはいけない。なぜなら、彼女は夫を呼んでいる可能性があるからだ。「彼」、「彼女」についても注意が必要だ。一般にそれらは、恋人と同義である。だがこれらの例は、単純な語の置き換えで済む問題に過ぎない。難しいのは、環境に依存する場合である。

ここに、父母、祖父母、二人の娘、末の息子で構成される家族があると考えてみよう。さて、ここで問題です:お母さんが「お父さん」と呼びました。それは誰でしょう? あなたは彼女が呼んだのはおじいさんだと考えたかも知れないが、それでは完全に正解とはいえない。我々は、彼女がお父さんを呼んだことも考慮に入れなければならない。末っ子が単に「お姉さん」と言うとき、それは長女のことである。では、お父さんが「お姉さん」と言いました、それは誰でしょう? やはり、長女のことである! ここにいない父方の伯母のことではない。その可能性はまずありえない。来客が、初対面の末っ子と話している。お客の言葉に表れる、「おじさん」と「僕」とは誰を指しているのだろうか。ほぼ間違いなく「おじさん」は客を、「僕」は末っ子を意味している。では、お父さんは自身を「お父さん」と、お母さんも自身を「お母さん」と呼ぶのだろうか? 呼ぶのだ。あなたは、彼らが自身を「お父さん」、「お母さん」と呼ぶところを目にすることだろう。

 この現象はなぜ起こるのだろうか。日本語の性質のためである。主語の支配下にある西欧諸言語と異なり、日本語で重要なのは状況である。我々がすでに見たある家族の例は、あるルールを物語っている。彼らは、末っ子の視点に基づいて呼称を決定していた。最も若い成員が、ある集団における呼称の根拠を握っている。それゆえ、「先生」は学校において生徒、父兄、同僚、上司、そして彼ら自身から「先生」と呼ばれ、現在は「お母さん」と呼ばれる私の母は、私が子どもを持つことによって「おばあさん」と呼ばれることになるかも知れない。きっとその呼び方は気に入らないだろうけど……

(初出:Allons au Japon!オリジナル:フランス語)


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公開日:2002.11.12
最終更新日:2002.11.12
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