僕は不勉強にしてほとんど知らなかったのですが、また何度か耳にしたときも、たいしたことのないありふれた騒動のように捉えていたのですが、それはまったくの誤りでした。自民党が今国会への提出を検討している、「青少年有害社会環境対策基本法案」についてです。
この法案は、昨年十一月に自民党「青少年を取り巻く有害な環境対策の推進に関する小委員会」(田中直紀委員長)によってまとめられたもので、青少年の性若しくは暴力に関する価値観の形成に悪影響を及ぼ
し、同様の行為を誘発
、助長
するおそれのある情報を適正化
する、という内容を持っています。平たくいいますと、有害と判断される情報を検閲、規制するということになりますでしょうか。
この法案は、かつて表現の自由を侵すとして問題視され、フィラデルフィアの連邦地裁で違憲と判断、そして米国最高裁判所で違憲判決をうけた「米国通信品位法」を思いださせます。法案の適用範囲はあくまであいまいであり、なにをもって有害情報とするかを明らかにせず、その規制対象についても明確さを欠いています。一面的な価値判断にもとづく規制が、様々なメディアに対して行われる危険性があり、このメディアには、出版、放送だけでなく、われわれ個人の情報公開活動も含まれるとみてよいでしょう。
法案の全文は毎日新聞で読むことができます。またこの法案の問題点に関しては、Rights of Sex Fantasiesで公開されている同法案に関する反対表明が冷静でわかりやすいでしょう。
同法案への関連&反対サイトリンク集「ぼくらの世界を守って」では、関連情報を収集するとともに、反対署名の呼びかけも行われています。署名を取りまとめているメディア総合研究所では、同研究所の反対声明文及び見解を読むことができます。
米国通信品位法が持っていた問題点は、今回の法案においても同様です。同法案は、漠然性ゆえに無効と退けられました。今回の法案が無効となるか、それとも通過するかは、現時点ではまだ分かりません。ですがもしこの法案が通ったならば、われわれ個人も、他者のお仕着せる基準に従わなければならなくなるかも知れません。
僕は、権利を声高に叫ぶことは好みません。権利とは、本来われわれが持ちえている普遍的なものであると信じたいからです。ですが、権利が侵害されることがあったならば、権利を守るために立ち上がることを厭いません。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
これは、僕の好きな言葉のひとつです。図書館は、資料収集、資料提供の自由を有し、あらゆる検閲に反対します。この図書館の自由を、われわれの自由と読み替えることは不可能でしょうか?
僕は、お仕着せの判断や基準なんて望みも求めもしません。自分の発信する情報を規制するものは、自身の良心だけです。得る情報を規制するものは、自身の判断だけです。