一日一チャレンジという生き方

 職場の機材に足りない機能をどうにかしたい、けれどそれはとても大変そうで、時間も労力も随分費やしそうだという旨をぽつりといったら、同僚がいってくれたのだった。一日一チャレンジということでいいのでは? こういうことを認めてくれる同僚がいるというのは、素直にとても嬉しい。

 以来、ネットで、書籍で情報を集め、トライ&エラーを繰り返している。望むものはほんのちょっとしたことにすぎないんだけど、それのある無しでできることの幅が大きく変わる。そのより快適な環境を夢見て頑張ることが許されるというのは、非常にありがたい。僕は今、急速にその方面への知識と理解を深めはじめている。僕自身のできることの幅も広がっているはずだ。

 なにかに挑戦できるということは、ある種の特権であるといってもよいだろう。挑戦が許される環境と、振り向けるエネルギー。そして対象と目標があってはじめて、それは可能になる。周囲の理解が得られないため動きが取れない人は悲しい。頑張りたいのにどうしても頑張れない自分は歯がゆい。しかしそれでも、挑戦したいという対象があることが仕合せだ。だから、僕は今自分がとても仕合せだと思っている。

 目標は、それこそ大それたことじゃなくてもいいんだ。大きなことを目論むと、むやみにそれが重荷となって動けなくなってしまうことが多い。ちょっとずつちょっとずつ、些細でつまらないことでもいいから動いていこう。毎日本当にひとつずつ挑戦というのが辛ければ、たまには休んでもいいもんね。でも、動き出せば面白いもんだから、なんとなく頑張っていけそうに思えてくる。

 今僕がやっていることというのは、いくつかの段階に分かれているので、最後の目標に向かって少しずつ進んでいくことができる。一日目が導入なら、二日目は使ってみるのが目標。最終目標の達成は何日目になるかわからないけど、一日一チャレンジならいつかはきっとたどりつけるよ。


日々思うことなど 2002年へ トップページに戻る

公開日:2002.03.08
最終更新日:2002.03.08
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。