なんだかぐったりしている。今日は、年にたった一日となってしまった占い営業の日。今年はあまり頑張らないと決めていたのだけれども、それでも、ほぼ休みなしに八時間強、占い続けることになってしまった。休んだといえば、目当てのバンドが出る、小半時くらいか。それでも昼食をとるくらいの暇はあっただけ、まだ楽だったかも知れない。
今年も、昨年同様リピーターを中心に占っている。さすがに占われなれている人たちなので、話が早くて助かることも多い。だがそれでも、カードが混ぜられ、並べられ、表に返されるまではどきどきの時間だと、皆が口を揃えて言う。それはそうだろう、自分の不安やわだかまりが、形になる瞬間を待っているのだ。僕自身とて、ずらりと横に伸べたカードから一枚を抜き、自分の不安を形にした瞬間には、彼ら同様の心情を感じた。たかがカードに過ぎず、所詮なにを保証するものでもないのに、そのカードが開かれるとともに、自分の人生の一部があらわにされるかに思う、――その怖れを持つものだからこそ、占いに掛かろうとするのだろう。だから僕は、その占いが彼らにとってよいものであればよいと、常に心掛けてカードを繰っている。それが彼らの人生に、よい暗示を刻んでくれればよいと思っている。
実をいえば、僕は僕の占いが未来を見るものだとは思っていない。カードを広げることで分かるものは現在の自分の思いだけ、僕のカードは自己分析以上のものではない。今の自分がわかれば、自ずと分かる先のこともあるであろう。結局は、相談者が自分自身と向きあう手伝いをしているだけだ。だから、皆が当たるといってくれるのも当然である。なにしろ、僕の占いの結果は彼らの中にすでに用意されているものだから。僕は、彼らのうちから答えじみたものを引きだしているだけだ。
今年も終わった占い。だが人は常に開いていて欲しいと気軽にいう。そんなせいで、僕も少し迷うのである。