僕の一番古い祇園祭に関する記憶といえば、幼稚園の時に総出で繰り出し、鉾に上らせてもらったことだろう。何鉾だったかはさすがに覚えがないが、この時に僕の祇園祭好きは決まったとみえる。なにしろそれからは、七月には毎年市内に出るようになってしまったのだから。祇園祭となればいてもたってもいられない気分になる。
そういえば小学校の一年には、出店で買った姫鶉を一晩で死なせてしまったのであった。祭から帰る電車で雛の入った小箱を抱いていたときの喜ばしい記憶と、翌朝に生じた落胆の対照の鮮烈さは今もなお色濃い。当時の僕は、今の自分からは容易に予測できる単純な理不尽さに、心も壊さんばかりに悲しみ泣いた。しかしだからといって、この残酷な体験が祇園祭に影を落とすことはなかった。
祇園祭のクライマックスである巡行を見たのはその翌年のことである。通い付けの京大病院からの帰りがたまさか巡行の時間に重なっていたので、ついでに寄ろうということになったのだった。大勢の人のひしめく四条河原町の辻に、まだやんちゃだった僕は頭から飛び込むと、一番前まで突っ切って走った。子供の特権を振りかざして見たものは、一番の見どころである辻まわしである。青竹がささらにまかれ水の打たれた上を、軋みながら鉾が大回りに回る。曳き方の掛声、喝采の観衆。一種女性的な祭の中に、ぱっと咲いて映える瞬間。この時垣間見せる荒々しさが祭に彩りを添える。宵山の眩惑、巡行の力動の対比が祇園祭である。
祇園祭に行くたびに、僕は鉾の模型を買ってもらっていた。高さ十五センチほどの木製の、精巧で華やかな模型。次第にプラスチックの安物がはびこる時勢に逆らい、良いものを探して歩いたのも思い出である。うちにはこれが五つ残っている。長刀、菊水、鶏、橋弁慶山、船鉾。この頃はなかなか買えなくなったが、今でもやはり欲しいのである。再び買いはじめようという気運も見えるのである。