仕事が終わって僕は、できるだけ人に会わぬよううつむきかげんで玄関へ向かうのだが、運悪く貸出窓口にいた上司に呼び止められてしまった。見ぬふりをしていたのであるが、その上司は誰か見たことのない二人組みの相手をしていて、その様子からもそれが少々厄介な懸案を持ち込んだのだと思しかった。話を聞けば、その二人は韓国からの留学生で、ハングルで書かれた資料を探しにこの図書館に来たのだそうだ。件の上司はハングル資料となれば一般書だろうと、その係のひとりであった僕をつらまえてレファレンスをさせる気であるらしい。虫がいい、と僕は内心そう思ったが、確かに自分は一般書を扱う係であったし、ハングルの勉強も多少はしている。なにより、そのいけ好かない上司に「できない」というのが死ぬほど嫌だということもあって、結局その業務外のレファレンスを引き受けることとなった。さも簡単でしょうと言いたげのその上司が、口ばかりで実はなにもできないのは、ここで働く誰もが知っていることである。その上司に使われて見せる自分の馬鹿さ加減にほとほと嫌気もさすが、せっかく図書館を頼ってきてくれた利用者を手ぶらで帰すのも申し訳ない。どうせ、僕がやらねば誰もできないのだ。なら僕がやらないわけにはいけないだろう。こうやっていつも貧乏くじを引いている。
運の良かったことに、その韓国人二人組みは、必要な本をメモに箇条書きにして持ってきていた。日本語やらハングルで曖昧に書かれているのが難儀であったが、会話に足りるほどハングルがわかるわけではない僕にとってはそれでもありがたかった。メモ書きから読みさえとれれば、書名索引でなんとか見つけることもできるかも知れない。加えて彼女らが言うには、必要なのはこのうちの一冊だけであるという。もしかしてこれならなんとかできるのではないかと、多少の希望を持って、僕は書名の索引が収められたカードボックスへと向かった。
カードは、アルファベット順にひきだしに収められている。書名のひきだしをA、B、Cとたぐって、目的の行にたどりつくと僕はおもむろに箱を引きだした。心持ちかがみ込んで、タイプ打ちの字の見難いカードを一枚一枚読んでいく。だが、今僕が探しているのはなんだったのだろう。箇条書きのメモを改めて見るのだが、はたして自分が探さねばならない本がどれだったか分からなくなってしまっていた。字も、まるで読めなくなっている。僕はすっかり窮してしまって、遠巻きに僕の本を見つけるのを待っている二人組みのもとへと戻ると、再び問い掛けた。
「すいませんが、どの本をお探しでしたでしょうか」
二人組みのうちの一人が、メモの真ん中あたりを指差した。そうだ、僕が探さねばならないのはこの本だった。なぜこれを忘れてしまっていたんだと、僕は自分で自分をいぶかりながらカードボックスへと戻ろうとした。二人組みに背を向けながら、僕は先ほどの上司が僕をじっと見ていることを感じていた。自分のできないことを人におしつけながら、その相手を決して信じない、いやらしい視線であった。
カードボックスに取りついた僕は、再びカードを読みすすめていった。今度こそ見つけられそうな気がする。だが背中に絡みつく上司の視線が、たまらなく僕の神経を逆なでする。人のことなど放っておいてくれればいい。こうも監視されたようになれば、自分が誰のために働いているのか分からなくなる。利用者の利益のために働くのか、それとも上司への面当てが目的なのか。自分は、利用者のために働いていると信じている。しかし心の中に、上司に彼女の無能さを突きつけんがために、しゃかりきになる意固地さはありはしないか。自分のわずかばかりの有能さを楯に、無理押しをする道具とこの機会を利用しているのではないのだろうか。
その様なことばかり考えていたら、自分の探しているものがなんだったのか、すっかり分からなくなってしまった。メモ書きを見れば、また、全然読めない文字に戻ってしまっている。なぜさっき問い合わせたときに、印をつけておかなかったのだろう。印さえつけておけば、こんなことにはならなかった。しかし二度も聞いたのだ、これ以上問い合わせるなどというみっともない真似はできない。上司が見ている。二人組みも僕を見ている。僕はカード上のかすれたタイプ文字を、読みもせずただ眺めるだけで、意味もなくめくっていった。こうしていれば目当てのものを思いだすわけでもないだろうに――。僕は少しでも結論を先送りしようと、カードをめくることをやめずにいた。字は、まるで目に飛び込んではこなかった。