このところなにをしてもしんどい、体力が落ちたと嘆いていたのだったが、そう思うのも無理はなかった。体重ががっくりと落ちてしまっていたのである。そういえば、知人友人からは痩せて見える、やつれたといわれていた。知らない間に三キロからを落としてしまっていた、疲れやすく感じるのも道理である。
七月も末に近付いたころ、体重計にのってみたことがあった。取り立ててなにかが兆したわけでもなく、単に長く計量していなかったと気付いた、それだけに過ぎない。しかし、これが驚きであった。針が五十キロを中心にふらふらと揺れた。このまま四十キロ台に落ちるのか、それとも五十キロ台にとどまるのか、目もはらはらと凝視した覚えがある。結局針は五十キロちょうどあたりを指してとまり、かろうじて五十キロは死守された。安堵の息をついたのだった。
体重がここまで落ちたのは、一体いつ頃ぶりのことだろう。確か学校を出た翌年だったかに四十八まで落ち込み、やはりその時も疲れやすく、なにをしてもしんどかった。それを思えば、五十台にとどまる今はずっとましだといえるかも知れない。だが、その時と今では状況が異なっている。その違いが気にかかっているのである。
四十八キロの時は、一夏をかけて落としていた。夏の暑さに負け、一月二月を経て痩せたのだった。原因が判りよい分、また安心もしやすい。秋に入れば、また適当に肥えるだろうと誰もが察しがつく痩せといえる。だが今の状況といえばどうだろう。暑い暑いとはいえ、梅雨が明けたばかりである。そんな時分に五十キロとなれば、暑中残暑を越えねばならないこれからが、いやに不安に映る。かつてのように楽天的であってよいものかと、心配するのである。
かくして、僕は夏をいかに越えようかという問題に突き当たってしまった。こととね読者諸氏に至っては、このような悩みとは無縁に元気に夏をのりきっていただきたく思う。暑中お見舞い。