あなたに会えばきっと私は

 あなたに会えばきっと私は悲しくなるのである。

 いつもあなたと会う町に着いて、もしかしたら帰る途中のあなたに出会うのではないかと、私はあえて目的の場所とは反対向きの階段を選んだ。階段を上りながらあなたと会ったときに話したいと思うあれこれを浮かべては頭のなかで箇条書きに、けれどあなたに会ってしまうと結局話の糸の端をつかめず折角のリストは雲散霧消してしまって、だから私はいつも黙って目礼するに留めて、あなたに会えた喜びよりもちっとも埋まらぬあなたの遠さを思い悲しくなってしまうのだ。

 その日の帰り電車を待つ間、少しあなたを思った。左手に文庫本を広げて持って、本の一節があなたを思い出させたのだ。しばし読む手を止めあなたの姿を脳裏に描いた刹那、私はめまいがして倒れるかと強く目をつむった。私が倒れたところで誰も見向きもしないだろう。それでも私は倒れてしまいたかった。それでどうなるわけでもないが、楽になるかも知れないと思ったのである。だがすんでで持ちこたえはた目にはなにごとも起こっていないはずである。

 今私は悲しさで一杯である。しばしの白昼夢に対照する現実が思いのほか重く、際立って胸に迫った。結局私は何一つ持っていないのだと今さらながら思い知らされた気がする。けれどこれは誰もが持つ悲しみなのである。

 誰もが胸に思いを秘め、その成否に一喜一憂することを私は知っている。ただただ過ぎ去っていくばかりの時間は人を待たず、置き去りにされた過去を悔いては取り戻せないことに思い至って切なさが募る。切ない、それは望むものを手に出来なかったことへの悲しさのひとつのかたちである。そして悲しさは簡単に心に胸に染み、思いの一杯になるほどに自分は孤独だと切々思い、私の思いを知る者はどこにもいないと悲嘆に暮れるのが先ほどまでの私であった。だが私の中の他人が私を明晰にした。今なにごともなくまわりに電車を待つ人たちが持つ悲しみは私には分からない。そのことをひとつ告げたのである。

 故に私は悲しいままで電車に乗り込み、今日もあなたの居る場所から離れてゆく。


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公開日:2003.02.26
最終更新日:2003.02.26
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