月曜日に私は、次の土曜までの日数ばかり考えている。今日を入れれば五日。数えなければ四日。ともかく私にとって一週間は長すぎ、つまり私の一週間は憂鬱とともに始まる。心は常に週末を夢みている。
月曜は前日の思い出のために耐えることができる(それはとても輝いていた!)。火曜日、私は悲しみに沈んでいる(たった一日しか経っていない!)。水曜には心が落ち着く(折り返し点だ!)。だが木曜日は私を打ちのめす(なぜ今日は金曜じゃないんだ?)。そして金曜には次の週末のことしか考えていない。
これが私の灰色の一週間だ。しかし待ちに待った土曜と日曜は光の速さでもって過ぎ去っていく。私の手に感触を残すこともない。
週末を覚ええずまた週末しか考えない私にとって、人生は残された日々を数える時間である。私は一週間のうち二日のためだけに生き、つまり残りの日々は日数を勘定することしかしていない。五数えたら一週間がすぎる。一週間は一年の五十二分の一である。四週間は一月。三月でひとつの季節。よっつの季節で一年。一年、それは私の人生の何パーセントであるのか。
日々は私の死んだ時間――それは実に空虚な――とともにすぎてゆく。それゆえ私は自分の人生を生きてはいない。
(初出:Voici ce que je pense...,オリジナル:フランス語)