続五百円硬貨

 五百円玉を多く残そうと思いはじめると、とたんに五百円を使うのが惜しくなって、なのに手持ちが必要額ぎりぎりだったりすると最悪。踏み倒すわけにはいかんから当然五百円玉を使わねばならない。普通の買物だと予測の範囲で予算と相談できるのが、飲み会なんかでは割り勘という悪習のためにそうもいかず、いや、自分は飲むからむしろ得をしているんだけど、事前に計算がたたんのがちょっと困るとそういうわけだ。

 じゃあ、二千五百円でいいから。――おいおい、二千八百三十円しかないよ。仕方ないから五百円玉も使う。当たり前のことを当たり前にしているだけなのに、予算オーバーしなかっただけむしろついていたというのに、気分は黒星。勝負に負けたよな気分で帰ることになって、使ってしまった五百円をことさら惜しむ自分が随分小さく思えてきて、なんか悲しいね。いや、格好つけてもみんなそういうもんさ。そもそも貯金なんて考えてる時点で人間小せえんだと、訳の分からん理屈で自分を慰める。

 五百円貯金は徐々にまとまった額になりつつあって、枚数数えながら守銭奴的楽しみに酔っている。ところでふと気付いたのだが、今集まっている五百円硬貨が、一枚の例外もなくニッケル黄銅貨である。偽造変造の対策として白銅からニッケル黄銅に切り替えられたのが平成十二年のことであるから、今手元にある五百円玉は平成十二年以降、ここ三四年のもののみということに。十円玉におけるぎざ十を思うと五百円のこれは尋常でなく、つまり五百円白銅貨は回収されるはじから廃棄改鋳されるのだろう。治安の観点からは当然の沙汰であるも、戦後まもない時期から今なお流通する十円玉と比べ、五百円玉の運命は少し不幸だ。

 ところで五円玉にもバリエーションがあって、字体が楷書のものがあるのをご存じか。過去数度出会っているが、財布の中で選り分けるとなるとちょっと面倒が多すぎて、多分これは残さない――と思う。


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公開日:2003.08.03
最終更新日:2003.08.03
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