十一月二十三日は勤労感謝の日であり、労働者の日と訳されているが、私が辞書から見つけたこの訳語はあまりよくない。別の訳語も見つけたのだが、こちらは神への感謝の日となっている。歴史的には正しいけれど、今ではちょっと正しくない。この日の解釈はややこしい。
この日はよく働くことに感謝する日である。自らの勤労について自分たちを祝福する。あんまり自然じゃないし、なんか回りくどい……
この勤労感謝の日、戦前には違う名前だった。新嘗祭といった。この宮中儀式は十一月二十三日に催され、現在も行われている。天皇が新穀を神々に捧げる。我々の代表者として天皇は感謝を奉じ、神々とともに作物を食べる。かくして来年の豊饒も約束される!
もしこの日が新嘗祭に関連しているなら、我々が感謝するものというのはやはり労働であり、そしてその結果ということになる。つつがなく働くことができた、これこそが素晴らしい恵みである。結果といっても金銭だけをいうのではない。私たちは仕事を通じて、喜びや実現、達成を得ているのだ。有償無償の別を問わない、それが私たちにとって豊かなものでありさえすれば。豊かなる仕事に身を投じるものこそ幸いである。
私はまだ真実の仕事を見いだしてはいないが、今日も働くことができた。私は自分を仕合せと感じているし、だからまさしく私は勤労に感謝している。
(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moi,オリジナル:フランス語)