中文老師を囲んで老師に学んだ同学たちと飲んだ。同学といっても自分が一番若く、七十七を筆頭に平均年齢は五十をだいぶ越えるくらい、大変楽しい会だった。老師といっても、中国語で教師を意味する言葉なので、たいして歳はとっておられない。自分の次に若いのが老師で、美しい女性である。余談だが、私は世界の民族中で、少しお固めのの漢民族がもっとも美しいと思っている。老師は四十を越えられたというが、とてもそうは見えない。素晴らしくチャーミングな女性である(故に私は老師が好きだ)。
歳を経た人の中で一人若い自分だが、疎外感はまったくなく、むしろ穏やかに楽しい。しかし一体どういうことなのか。戦争を経験した人、高度成長に必死で取り組んだ人たちの話を聞くと、本当に自分たち若い世代というのは、必死という経験、頑張りをしていないのではないかと思う。私が生まれたときにはそばにテレビがあり、ラジオなんかは当たり前で、四歳の時にピアノ。飢えた覚えは一度たりともない。老師はピアノを持つのが子供の頃からの夢で、数年前に電子ピアノを買った。だが今になれば時間が持てない。老師が少し暇になれば、私が老師のピアノの老師となる約束だけは済んでいる。いまだ発展と向上の中におられる老師は別として、ここにいる同学たちは間違いなく老師の現在を過去に通過して、自分たちの世代の夢を叶えようと必死だった人たちだ。彼らがいたからこそ今の自分の繁栄があると思う、安穏とした暮らしがあると思う。私の世代はどうか知らない、だが彼らを前にして私は、自分を甘えきった弱い人間だといつも思う。
中国はただいまを高度成長期として、過去の日本の道を歩むが如しだ。その根底には老師の子供の頃の夢に似た、より良い暮らし、よい趣味、文化を手にしたいという渇望――夢がある。夢の先にたどり着くのがより良い未来であればよいと、隣国偉大な中国のことを僭越にも思う瞬間がある。