新兵

 新兵にとって最も我慢ならなかったのは、そこにプライバシーがないということだった。

 日中は規律ある団体行動の中に過ごす。行進が第一番に重視され、次いで整列、間髪入れず返される応答、そして兵士であることのプライドが求められた。自らの選択が国家を、我々の共同体を、そして理想を守ることになる、――おまえたちは英雄なのだ。この毎日のように聞かされ、自分たちもまた大声に繰り返した言葉が、きつい訓練を耐えようという気にさせ、実際耐えることができた。

 日々の訓練はそのまま同じ新兵同士の競争であって、音をあげたものには容赦なく罵声がそしてペナルティが積みあがっていく。訓練がここまで辛いものとは思いもせず、なぜこんなところに自分から飛び込んだのかと後悔もとめどなく、しかしそんなことを思っている暇などないのである。歯を食いしばり追い立てられるようしてに前へ進む、考えることはなにもなかった。ただその時々のゴールに向かうだけの毎日であった。

 こうして新兵の心身の隅々にまで組織だった行動様式がしみ込んでゆく。

 個室などは与えられない。部屋の両側にベッドがずらりと並び、カーテンを引いたそこがいわば自分だけの場所だ。そこには夢もなにもない。ただ眠るだけだ。夜が明けねばよいと思う――、目を開ければもう朝だ。また同じ一日が始まる。起床の時間を過ぎて室内はあわただしく、考える余裕もなく支度をして出ていかねばならない。

 だが人間はこうした生活にも順応し、直きに余裕が出始めるとひとりになれる場所がないのがなにより堪え難く、よる寝入るか寝入らないかのうちに聞く仲間の声、寝息いびきがわずらわしい。昼間は隊列の中に暮らし、夜は寝台からこぼれる溜息のなかに眠る。

 夢を見るようになった。夢はうとましい――、訓練の夢にうなされ、しかし以前の生活を夢に見るほうがなによりこたえた。まるで嘘のように見えた。まるですべてが違っていて、自分はかつて本当にこのような世界にいたのだろうか――。

 そして再び夢を見ることもなく、仲間に取り囲まれての眠りも気にならなくなり、そうして彼はもう新兵ではないのである。


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公開日:2003.06.03
最終更新日:2003.06.03
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