降りるがよいか降りぬがよいか

 今日帰りの車内、向いの席に本屋さんがいた! 書店にみる服装とは違っているが、やはらかな顔立ち髪形は紛れもない。思いがけぬ場所での思いがけぬ人に、奇縁かと胸中さざめき穏やかでなかった。何時乗り込んだものか、本に熱中してついぞ気付かず、梅田か十三からか。本を読む手が止まった。

 眼鏡をかけていない、コンタクト? 別人か。別人なものか。時に眉根に寄る神経質さ、見紛うはずもない。膝には趣味よい布袋、手には角の筒。建築あるいはテキスタイルか。テキスタイルなら昔し母がやっていた。婦人ものが専門である。ために私が育って一向その機会は失われたが、子供時分はよくシャツブラウスなんかを作ってもらって着せられた。仕立てあつらえ身によく合い、デザインも一寸凝ったもの。たまの晴着、得意であった、うれしかった。だから自分の子には自ら作ったものを着せてやりたいと思っていた。しかしテキスタイルは難しい、私には到底無理だ。

 車中込みはじめる。人越しにみれば寝たり起きたり、本に集中できた。停車のたびに一瞥、本に戻るを繰り返すこと幾度か。

 別人であれば良い、そう願っていた。本人だろうと別人だろうと、何れにせよ声掛けるわけにはいかない。なら別人で充分である。我が駅で降りねば良いとの願い裏切られ、果たして同じ駅で降りることに。先だって降りて、階段上る途中見失う。乗り換えたか、そうであれば、再度願った。

 好きは仕方がない。人に私はそう言うが決して自分には言わない。分からぬが故、人は人に恋をする。恋うるあなたは影法師、夢幻想に過ぎぬかなしさ。ひとたび近付けば、人間だもの幻滅もあるさ我慢できないこともあろう。知らぬが花と遠目に済ますが一番と心に誓って早や数年たった。

 駅前本屋には極力寄ることにしているが、嫌いな曲かかっておりすぐ出ることに。そこに本屋さんがいた。コンビニに入るを見た。暗澹たる思い。そちらには寄らず帰った。


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公開日:2003.10.09
最終更新日:2003.10.09
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