バレンティヌスの聖日

 聖バレンタインの日、日本ではチョコレートを振る舞うのが定例になっているが、本来この日は聖バレンティヌスの命日である。ローマがまだ帝国だった頃、バレンティヌスは司祭をやっていた。この時期、ローマ帝国は躍起になって軍の増強をはかっていて、そんなもんだから軍人皇帝時代なんて呼ばれているのだが、バレンティヌスはよりによって時の皇帝に逆らってしまい、結果棍棒で叩かれて死んでしまうはめになってしまった。

 しかしなんでバレンティヌスは帝国に逆らったのだろう。それは、先ほど話した軍隊を強化しようという施策と関わっている。

 帝国は強い軍隊を欲していた。外敵に対抗するためである。強い軍とは強い兵士によって成り立つと考えられ、故に結婚は危険視された。兵士が結婚すれば、前線で同僚がきっと写真を見つけてしまうからである。

「お、それお前の家族か?」

「ああ、去年結婚したんだ。来年の春には、子供が産まれる予定なんだぜ」

などとお定まりの会話が交わされ、この時点で彼は自らが運命の悪意にとらわれたことにまだ気付いていない。直後あるいは翌日に敵の襲撃を受けた彼らはその身を激戦に投じ、お互いに生き残ることを約束しつつも、哀れ戦死フラグを立ててしまった一兵士はこの戦いにおいて命を落とすのでありました。

 こうして兵士がひとり減りまたひとり減り、結果として軍が弱体化することを皇帝クラウディウスは怖れた。兵士が家族を持つことは精強な軍隊を持つ夢の邪魔になるのである。そうして兵士が結婚することは禁じられた。

 当時キリスト教は国教ではなく、むしろ迫害の対象であった。もとよりそのような危険な時期に、バレンティヌスは結婚を望む若者たちの望みをかなえたのである。兵士たちの愛は成就したが、皇帝は当然面白くない。だからバレンティヌスを処刑してしまった。だがこの逸話が、彼を愛ないしは恋人達の守護聖人とした。人は死して名を残したのである。


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公開日:2003.10.02
最終更新日:2003.10.02
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