後悔先に立たずというのは文章においても違いなく、昔の文章を読み返すたびごとに嫌な気分である。気取っている、知ったかぶっている、手前の文に酔っている。それで言わんとすることが明らかならまだしも、悪くしたことに、言いたいことに言葉が足りていないこともしばしばなのだから救いがない。まったく稚拙な文章である。いっそ無かったことにしてしまいたい。そんな思いに身を焼きながら、詰まらぬことにこだわる小人である。せめて書き直したいという望みも自ら駄目にしてしまっている。
詰まらぬこととは字数であったり、端々の言葉の用い方、漢字の当て方仮名の送り、そのようなことである。細部に目が届くといえば良いふうに聞こえるが、度を過ぎるとなにごともいけない。本筋を忘れて脇ばかり気を取られることになる。字句末節に拘泥した跡を昔の文章に発見して、どうでもいいことほど気に掛かるしようのない性分がそのまま文章になっていると、自分の性格の煩わしさ窮屈さにほとほと閉口する。文は人なりとはよく言ったものだと感心しながらもそれを恨む。それが逆恨みであると承知しながら、それでもなお恨んでいる。
文章は鷹揚に典雅に書きたいものだ。その願いも、物心ついてこのかたせせこましく粗雑に生きてきた自分にはどうにも果たせそうにないから、せめて最低限の約束を自分に課すと決めた。ひとつには飾らないこと。美文の真似事、てらいの類いは、こと文章の敵である。ごまかさないこと。取り繕いなどもってのほか、ありのままをありのままに書くことが大事である。あきらめないこと。納得いかないというのはまだ書けていないのであるから、文を練る労を惜しんではならない、など。書き出してみれば当たり前のことばかりになってしまった。
よい文章をなどと言ってはいるが、結局は恥を書きたくない一心なのである。またそれを種にしてこうして文を書くのだから、つくづく恥の上塗りである。