地震のこと

 ふとなにげなくつけたテレビは、新潟で強い地震があったというニュースで持ち切りであって、その様子を見ていればよほどのことであると分かる。地震、地震のニュースは阪神淡路の震災を思い出させて、私はいつも落ち着きをなくしてそわそわしてしまう。

 私は関西には住んでいたが、あの時の地震で直接の被害を受けたわけではなかった。朝の五時五十分、この時間はちょうど私の起きる時間にあたる。朝にアルバイトをしていたからだ。そろそろ起きようかどうかと半睡のままぐずぐずしているときに地震があって、とりあえず布団をかぶって身を守った。一階に降りてラジオをつければ混乱がありありと見て取れて、さすがに電車は走ってないだろうからこれを口実に仕事を休もうとしたら、阪急は走っているらしい。だが実際には電車は止まっていて、状況の確認もままならない異常事態であると分かった。追い立てられる気持ちで駅に向かった私は、何時間待っても運行が再開する気配がない駅改札で足止めをくらい、状況の分からない不安に余震が拍車をかけて、しかしずっとこうしていても仕方がないので、九時を過ぎた頃に帰宅した。

 テレビにはひどい情景が映されていて、私は愕然としたのだった。それほどの地震ではないと思ったのは大間違いで、実際の被害状況は皆様よくご存じのことだろう。その時の心境はいまだにうまく説明できない。言葉にするにもなにか引っ掛かりがあって、つまりはいまだに整理できていないのだろう。なにも被害を受けていない私がそうなのであるから、あの現場にて体験した人の思いは如何様であったか、私は想像することさえできない。

 アルバイト先の同僚がこの地震で妹を亡くしたと人伝てに聞いて、これが私の直接に知る人の被害の中で最大のものだった。後は全半壊多少の怪我など多岐にわたり、いろいろ聞くそれらのことを現実感をもって受け入れるのは難しかった。虚無感ばかりが感じられた。


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公開日:2004.10.23
最終更新日:2004.10.23
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