オリンピック、前半における一段落

 今日でオリンピックも一段落。私にとってのオリンピックとは、夏は体操、冬ならフィギュアスケートで、ガーラ、エキシビションが一段落だ。オリンピックは確かに大きな祭りで、その華々しさ、雄大さは今更いうまでもない。しかし大会の一競技である体操、フィギュアにしても、ひとつの完結した祭りなのだ。

 世界のトップクラスの選手たちが、苛烈にして華麗な舞台上で、それぞれのミクロコスモスを体現する。コンマ数ポイントを争い、わずかのミスが敗退につながる緊張感が満ちた場所で、極限の演技が披露される。私はその空気が好きだ。張りつめた精神を御し、身体の限界を超えて成し遂げられる技の数々に、人間の偉大さを感じる。あの人たちは人の領域を超えようとしている。現実などはすべて遠くに押しやられてしまう。

 ガーラ、エキシビションではそうした緊張感が凪ぎ、変わって柔和な雰囲気が支配的だ。再び人間の世界に戻ったかのよう、選手たちの表情にも余裕が見える。すべての順位は決定しているし採点も行われないから、構成のレベルを下げて確実性、完成度を高めてみたり、あるいは規定外の演技をするか。真面目にきっちりと本選と同じ構成をこなす人を見れば真面目そうな人と好感を持つし、わざと失敗してみたりちょっとした遊びを見せてくれたりすれば、そのサービス精神にすごく嬉しくなる。本番だったら大減点、失格級のことであっても平気平気。このガーラを見ることで、超現実の高空から現在の地上に戻ってこれる。その意味で、これらは明らかにもう一つの閉会式であり、この二競技が他の競技とは異なり、独自の小世界を持っているという所以である。

 体操ファン、フィギュアスケートファンは、一度のオリンピックで二回の閉会式を経験する。二度目はオリンピックの、そして最初のものはいうまでもなくガーラ、エキシビション。本日、アテネにおける最初の閉会式が行われた。しばし一段落である。


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公開日:2004.08.24
最終更新日:2004.08.24
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