祖母が亡くなってはじめての盆である。祖母の入っている墓に参った。
私はこうした法事には明るくなく、ただ墓に参るだけと思っていたので、寺に着いたらさっさと水を汲んで、一人で墓にいってしまった。花入れに水を注いで、それにしても誰も来ないのはおかしい。墓前にバケツとひしゃくを置いて戻ってみると、両親と伯父夫婦、叔母が集まっていた。知らなかったが法要もあるらしい。
法要の前に墓に参った。
水は汲んである。この寺では水道から水を汲んだが、父方の墓ではポンプを使っていた。ぎいぎいと音を立てるポンプから吹き上がってくる水をバケツに受ける。だがそこももう水道に変わった。ここにしても、数年前までごちゃごちゃと墓が密集していたのが整然と区画されて、懐かしい雰囲気は消えていくばかりだ。
祖母の墓に水をあげて、伯父が蝋燭と線香を用意した。風があって蝋燭の火はすぐに消える。順繰りに拝んで、従姉の子ははしゃいでバッタを捕っていた。
本堂に戻ると、紗の衣に着替えた上人さんがお待ちであった。正座が駄目な人のために椅子が用意されて、だが私は使わなかった。結局伯父と私だけが正座で、私の親の世代にしてもう正座は生活から消えている。従姉の子はじっとしていない。読経の間もきゃあきゃあと走り回って、しかしこれが昔だったらどうだったろうか。イタリアの教会では、騒ぐ子供など一人も見なかった。だがその子の祖母がいる手前、私には注意する義理もない。ほたえるままにさせて放っておいた。
風のよく通る本堂は涼しく、表の炎天も届かない。お茶をよばれた。伯父のカメラを見せてもらうと、接眼レンズにさらに一枚レンズが付けられていた。古いマニュアルのカメラだが、今も充分現役で使われているのだろう。
ひとしきり話した後、薄い木の札を納めに墓に戻った。太陽の熱にやられて蝋燭がくの字に曲がってしまっていた。離れたのはほんの一時間ほどだったのに。