去年フランスからのメールを受けて、どうやら日本の誰かが描いた絵にあった日本語、それを読んで訳して欲しいということらしい。お安い御用、早速訳して返事を出した。
「……僕を殺しに来たのかい、ハリー」
「……違うよ。君に、逢いたかったんだ」
これを、
—Tu es venu me tuer, Harry?
—Non, je voulais te voir.
と訳して、いやこれは今回のテーマではない。これを機会に何度かメールを交わして、しかしフランス語ならこちらが不利だ。忙しさあるいは怠惰さか、ついついメールが滞って、それが昨年末の状況だった。
だが私は未練たらたらだったのだ。いきなり耽美系の画像を送り付ける度胸のよさに対し、破綻がなく読みやすい文章。私は、この非礼と配慮が混在するあたりに、大人でも子供でもない年代を読み取った。いうならば勝手にリセエンヌくらいと決めつけて、降って湧いたこの出会いに執着する自分のよこしまさ。ああ、なんというよこしま。日本ネイティブの強みをいかして云々いっている時点でもう! 呪われろ、わたし。これが他人なら迷わず通報しているところである。そんな自分を私も分かっているので、なおさらメールを書けない事情があった。
だから年賀を送ったのだった。毎年の年賀の画像にフランス語版も作成し、日本の風習といってそれを送った。加えて次のように続けたのだった。
もっとたくさん話したいことあるんだ、フランス語苦手だから全部はいえないだろうけど。またメール送ってもいいかい。いい? 駄目?
なんという、ありえないほど殊勝なメールではないか。うはは、本当にありえないよ。で、返事が返ってきたんだけど、そしたら、いいってさ。いいんだって! わはは、喜んじゃってるよこの人、ほんとう、ありえない反応だ、ありえない。
皆様方におきましては、どうぞよこしまといってくださるな。私はこれで純情なのですよ。