招待券を貰ったもんだから、いってきました、大(Oh!)水木しげる展。水木しげるはいわずと知れた妖怪漫画の第一人者で、ゲゲゲの鬼太郎といって分からないというものは、おそらく日本にはおらんだろう。いや、子供は別ね、子供は。けれど平成になってからもアニメでやってたんだから、ある程度の年がいってる子供なら分かるだろう。少なくとも、私らの年代なら知らないものはまずいるまい。
水木しげる展の主役は、鬼太郎や悪魔くんといった水木しげるによって創造されたものかと思っていたら、実はそうではなかった。むしろ主役は水木しげる本人である。入り口には水木しげる人形が出迎えてくれて(実によくできてるのだ、これが)、それより一歩踏み込めばもう水木しげるの世界だ。
水木しげるの半生をたどるコーナーが充実していてよい。有名な話だが、氏は先の大戦で南方に送られて、負傷している。なにものにも凝り性の少年が戦争で九死に一生を得、命からがら帰ってくる。そして貧乏生活。生きるために精一杯働き、しかしそれは自分のしたいと思うことを追及する日々だったのだろう。もちろん嫌な仕事もあったろう、したくないこともあったかも知れないが、それでもその先に自分の理想を見ていたように感じた。わたしゃちょっと感動したね。漫画が当たって多忙な日々を送るなかでの、なまけものになりたいとの思い。そして氏の現在。充実した生を今も生き続けている氏の強い生命を実感させるような展示だった。
さて、妖怪だ。
私は子供時分にやっていた鬼太郎の、石見の牛鬼の話を見てちょっとトラウマみたくなった。恐ろしかったんだね。多分今見るとそれほどではないと思う。しかしあの時は本当に怖かった。その牛鬼の銅像やフィギュアがあって、確かに子供の頃に見た姿のままで若干の恐ろしさを湛えていた。しかしだ、今となればどこか優しくも感じられる。これは水木しげるの漫画に通底する感情である。どれほどおどろおどろしく描かれていようとも、人間臭さ(というのも変だが)が伝わってくる。いいやつばかりでもないが、悪いばかりでもない。その誰もが、それぞれ自分の理由でもって、精一杯生きようとするそういった鼓動が感じられるのだ。
展示は全体によくできていて、時に悪のりみたいなものもあって楽しい。水木しげるの創造した世界が、私らの住む世界の隣に確かにあるのだと、そういうメッセージに嬉しくなった。私たちには容易に感じられなくなった世界が、水木しげるのアンテナを通じて、今も身近であると告げられている。