なにをおいても麺。麺だけは先延ばしにできない。あらゆる都合、約束を反故にしても麺が優先。麺はすべての事象に優先する最上位項目である。
夕食の支度ができたとしよう。しかし私はまだ調べものをしている、あるいはギターを弾いている。こういう場合、私は自分の用事を済ませるまで食事をはじめない。味噌汁がよそってあったとしても気にしない。自分のことに一段落つくまでそのまま放っておくと、当然料理は冷めてしまって、気が向いたら温めなおしもするが、大抵は冷たいのをそのままいただく。このように、私は調理者泣かせの食に冷たい男であるのだ。自分でも食事を作るというのに、血も涙もないとはこのことであるなあ。
ただし、食卓に麺がのっているときばかりは別である。麺とはうどんである、そばである。あるいはそうめん、にゅうめん、れいめん、ラーメン、冷やし中華、パスタにいたるまで、ことごとく麺に類するものは別格、一秒たりとも待たせるものか。だって延びてしまうじゃないか。麺はできあがりの食卓にのった瞬間が一番おいしいのであって、時間がたつほどに味が落ちるのは皆様御存じの通り。麺を食べるというのはまさに時間との勝負なのであり、他のおかず、ご飯を差し置いても、真っ先に食べるべきものであるのだ。
麺が準備されているとわかっていれば、用事はさっさと切り上げ、食卓について待つ。自分がゆでる場合は、後片づけなど後回しで、なにしろ麺が優先なのだ。麺があると知らない場合も、ずずずると麺をすする音を聞けば、即座に食卓に向かう。作文の最中だろうが、漢字変換の確定する暇も惜しんで麺。練習中だろうと読書中だろうと、昼寝してたとしても、なにもかもなげうって麺をとる。たまにとろろだったりおくらだったりして、すごく悲しい。だがこれは、勘違いしたことが悲しいんじゃなくて、麺がなかったという事実が悲しいのだ。
つまり、なにをおいても麺なのである。