螺旋のはしごはくるくるまわって下へ下へと落ちてゆく

 なぜか私はその時榊忠嗣で、一体なにが目的か、中空の塔みたいな建物の頂上に行こうとしていた。塔の真ん中には細く狭い螺旋階段が背骨みたいにそそり立っていて、しかも悪いことに登ろうとすればくるくるまわる。段と段の間も狭く、まるではしごみたいに細い。白い鉄の格子がぐるり階段を取り囲んでいる。狭くて、長身の身には辛い体勢だ。しかしこれを登っていかないといけない。

 先導は二人の看護師で、三人で順繰りに蹴るもんだから、階段は下へ下へと下がっていってなかなか上へは進めない。それを、四つ這いになって遅れないよう必死でついていくのだが、こうした狭いところでは柄の小さな女性のほうが有利だ。屈みこんだ背中が痛い。ついていくだけでへとへとだ。

 馬鹿なことをいいながら登っていく。階段には、同じ苦難を体験した先達の残した落書きがたくさんあって、これがちょうどよい話題になって飽きない。上がるにつれて内容が面白くなっていく。あるいは疲れで少しハイになっているのかも知れない。

 下から見上げれば、まるで円の天井に消えていくような階段のてっぺん付近に、三人の白衣が見えて、いよいよ出口が近い。出口は格子に丸く空けられた小さなくぐりで、階段の回転をうまく調整してやらないとおりることができない。あっ、とくぐりが通り過ぎたのを、桃山が後ずさりしてうまく合わせた。山下が通りすぎ、桃山が通りすぎ、なにが根拠か知らないが、三人ともがこれをうまく通れないと駄目だという共通理解があって、最後に挑戦する自分にはえらいプレッシャーだ。そして皆様ご期待の通り私はくぐり抜けるのを失敗して、山下の文句を聞く羽目に。手を差し伸べてくれる桃山に助けられて、どうにか目的の最上階にたどり着いたのだった。

 という夢を見たと、相変わらず榊忠嗣のままの私は、医局で水野に相談していた。一体どういう意味があるのだろうか。榊は椅子の背を抱え込むみたく前のめりになって、水野はというと、その問いを受けてけらけら笑い、それはねー、先生、とうとうと話す。そして水野はいつものように、楽しそうに腕組みしながら。この風景を私は、外部の人間として第三者的視点から見た。この時点で私は傍観者であり、参加者としての一体感を失っていた。奇妙な夢を見たと夢の中で思い、そのまま起きようともせず、忘れないよう記憶にとどめようと念じていた。

 しかし、夢の中で榊忠嗣であった私の見た夢とは、一体どれほどが私の夢であったのだろうか。私の夢も、他の誰かが見ている夢ではないのかと、赤のキングを思い出し、あるいは小猫を思い出す。


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公開日:2004.08.26
最終更新日:2004.08.26
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