フランス旅行中、なにげなく市場に寄ってみた。香ばしくチーズの焼ける匂いがしたものだからつい誘われてみれば、これはケーキなのだろうか、手のひらほどもあるかたく焼きしめられた生地にたっぷり黄色くチーズがのせられて、くすぶる火の上、鉄板で焼かれていた。
その菓子がやたらとおいしそうだったので、試食はないものかときょろきょろすれば、それを行き交う人に勧めているのが知り合いで驚かされた。いつの間にフランスに来ていたのだろう。彼女は占い稼業の同僚であった。それがフランスに来て、チーズの焼き菓子を売っているとは思いもよらなかった。この奇縁に気分をよくして、菓子をひとつ買った。1ユーロは百円ちょっとだったっけと聞きながら少し計算、札を渡す。受け取った熱いケーキにかじりついた。うまい。チーズの強い匂いが広がって、でも全然嫌な感じじゃない。これはいい買い物であった。郷土菓子なのであろうか。
彼女は売り場を離れて、両側に出店屋台の並ぶ市場の奥に僕を誘った。天幕を通って日差しがやわらかである。フランスではなにをしているのか。根掘り葉掘り彼女に聞けば、名刺をくれた。日本語の名刺、名前の肩には夢占いとある。彼女得意の手だ。ここでも日本人相手に占っているのか。いや、占いだけではだめなので、こうしたところで手伝いなどして、日銭を稼いで暮らしているという。今井君もくればいいのに。そういわれてはじめて、こうした暮らしもあると思い至って、彼女の真似でいいなら自分でもできるのではないかと、あこがれが一歩近づいたかに思った。
天幕は白とだいだいの段だら。売り子が元気も良く呼びかければ、買い手も負けていない。にぎやかな人々の声を聞きながら、奥へ奥へと進んでいく。ギターの音が聞こえてきた。フラメンコギターの乾いた音が、ぱらららららとつながって聞こえてくる。出店の並びが切れて、ちょっとした空間があった。旧家の壁面を背負って、中年のギタリストが一人フラメンコをやっていた。赤い服と青い服の踊り手が、交互に中央に出ては喝采を浴びている。二人の女ははっきりと際立った化粧に眼差しを鋭くして、妖艶であり、凛々しく堂々と挑発的で、ときに清楚であった。
傍らにいたはずの友人が、姿を消していた。持ち場に戻ったのか、しかしそんなことはどうでもよかった。天幕の影、薄暗くもあり暖色の華やいだ色合いに沈んで、人々が舞う女を見ている。太った男、痩せた男もいる。はげ頭、ハンチング、眼鏡、パイプ、腕まくり、短いズボンからのぞく毛脛、サスペンダー、もみあげ、口髭、髭の青い剃跡。服装はちっともおしゃれじゃないのに皆堂に入って、かっこいいのであった。ワインを飲み、たばこを片手に、口々に勝手なことをいい、笑いあっている。踊り子にからかいとも称讃ともつかぬ声が投げられては、それを受けて女は微笑んで見せる。迫力。
身に付いた流儀が自然に行使されていて、これが文化の本質である。目の当たりに見る伝統に圧倒されるまま、軽佻浮薄にそれらを縫って私は生きていけたらいい。占い師として、地に根づかない流れ者として、故郷にも旅先にも、どこにも心を置かず、その時々の運に任せて漂泊の中に人生を送れればいい。