数日前から報じられていた奇妙な災害が、いよいよ私の住んでいるところまで広がってきて、人事ではなくなってしまった。逃げる準備をしようにも、どこへ逃げればいいか分からず、なにしろ原因不明の災害はあちこちの都市を飲み込みこみながら壊滅的な広がりを見せているというのだから。それはどうやら海からやってきたらしく、最初の被害地は軒並み沿岸都市であった。コンクリートのビルディングも一瞬で冒され、後には溶け崩れた廃虚が残る。突然建物が真っ白の煙に包まれて、しかもその煙は有毒なのだ。たくさんの人が亡くなったらしい。しかも酸であるのかアルカリであるのか、皮膚は焼けただれたようにぼろぼろで、かろうじて助かった人たちが次々と搬送されてくる。しかしこの街ももう駄目だ。数キロ先の街がやられてしまった。病院、学校から被災者たちが運び出されるのを見た。市の広報車が避難勧告を声高に街中を走り、空にはヘリが何機も飛び交う。しかし私たちはどこへ向かえばいいのだろう。
父と私が街に出ると、同じように不安の表情を浮かべた住人たちが、所在なげに災害のこと、これからのことを話していた。奇妙に皆落ち着いているようで、もうじき最悪の災害がやってくるとは思えないほど静かだった。まるで日常の世間話でもするようで、けれど異常な非日常感が誰もの胸中にくぐもっている。私もそうだ、父もそうだろう。半ばあきらめが先にたって、怖れや焦りが表に出てこないだけだ。
遠くに見えるビルが足下から白煙に包まれて、どういう反応が起きているのか、ビル内はピンク色に染まった。いくらなんでも潮時と、私たちは散会した。いやにのどかな、いつもに変わらぬ挨拶を交わしながら。
自宅前には白いセダンが止められていた。私は家に入るとギターとサクソフォンだけをもって、後部座席に乗り込んだ。しかし姉と母親が見当たらない。放って逃げるわけにもいかない。しかしどこにいったというのだ。
車を出した。心当たりをまわって、数件目で母を見付けた。どうやら白煙に見舞われたらしい。破れた服の合間からただれた皮膚が見える。しかし命には別状ないようだ。最後の買い出しにいっていたという。父はそんな母を叱責し、私は後部ドアを開けてやった。母が乗り込んだのを確認すると、車は再び走り出した。姉は、自宅で見付けた。家のあちこちから白煙が薄く立ち上っていたものの、姉は奇跡的に無傷だった。
車は走り出した。家族のだれ一人欠けることなく、幸いであった。街はすでにゴーストタウンのようで、災害はすぐ背後に迫っている。広報車も避難したらしく、もう声は聞こえない。カーラジオのスイッチを入れれば、各地の被害状況を伝えるアナウンサーの声が、いやに淡々として聞こえてきた。私は溶け崩れていく街を黙って見続けていた。きっと海風のせいだと思いながら、目を離すことができないでいた。