私が死んだら、この世のものはもうきれいさっぱり忘れて、我が身ひとつで旅立ちたい。心残りはきっとあろうが、しかし人間、望んだことをすべてし尽くするというのも無理な話だ。だから私はもうすっかりあきらめる覚悟ができてしまった。この世のことはこの世のこととして、あの世にまでは持っていかないでおこうと思う。
もし私が死んだら、このサイトの行く末はどうなるだろうか。サイトに限らずネットのことは、家族にもまったく知らせておらず、仮に知らせたとしてもきっと伝わるまい。だから、このサイトは私の口座が凍結されて、支払いが不可能になった時点で消えるだろう。いや、その前に更新がされなくなる。ここ数年を見るかぎり、サイトの更新がとまるのは旅行に出ているときくらいだ。更新がとまって、とまったことに対するエクスキューズのひとつもなければ、それは私になにかあったと考えてくれていい。その数ヶ月後にサイトが消えれば、それでもって私の生死をはかってくれてかまわない。
私が死んだときには、サイトの情報はばらばらになって散ってくれればいいと考えている。きっとGoogleやInternet Archiveが拾っていてくれているだろう。それで充分、それ以上は望まない。あそこらには、私も意識せぬ間に過ぎてしまった時間が、折り畳まれたみたいになって積み上げられている。過ぎたことを、まるで今生起するもののように見ることができるだろう。そもそも私のサイトなどは、はじめからそうしたまやかしみたいなものだ。まやかしなら、まやかしのままで過ぎ去りたい。
黙って死にはしないと思うが、それでも最後の挨拶ができるかどうかはその時次第だから、いえる間にいっておこう。あなた方読者がいたことは、私にとって大きな価値だった。感謝します。知人であろうとなかろうと、感謝の気持ちは変わりません。それでできたら、どうぞ早いうちに忘れてしまってください。