海洋堂制作の恐竜フィギュアがもらえるというので、思わず買ってしまった恐竜博2005の前売り券。といっても、すべての前売り券にフィギュア引換券が付いてくるというわけではなくて、平日入場券のみというのがみそでしょうか。券を買っただけではフィギュアはもらえず、まあフィギュアを手に入れるためだけに券を買うのも馬鹿馬鹿しい話で、だからいつか行こういつか行こうと、そしてついに本日恐竜博2005にいったのでした。
平日入場券が発行されるというのは、それだけ休日の動員が見込まれていたという現れであると思うのですが、土日祝日には二時間待ちもざらであるとのことです。今日に関しても、平日だというのに入場待ちは発生して、といってもわずかな時間でしたけどね。私が会場についたのは一時過ぎくらいだったのですが、やっぱりこれくらいから入場者は増えはじめるらしく、入場待ちの列がだんだんと伸びていくのがわかりました。
会場は想像通りそれほど広くはなく、けれど展示品やビデオをしっかり見ようと思えば一時間くらいは軽く過ぎてしまう。それくらいのスケールです。
今回の企画は、恐竜が鳥へと進化したという仮説を中心に、獣脚類の変化の過程を系統樹に基づいて並べてみるというものです。だから最初のほうは本当に小さな恐竜が出てきて、恐竜といえばどうしても巨大な生物という思い込みがありますが、そうした思い込みを粉砕してくれること間違いないと思います。同行者いわく、犬みたいな大きさだ。犬にもいろいろありますが、普通に犬といって思い浮かぶ程度のサイズ、中型犬ですね。
しかし、だんだんとサイズは大型化していき、ちょっとかまれたら助からんなというような頭骨標本も見えてきたかというころに、マジュンガトルスの全身骨格標本があらわれて、これが最初のインパクトであるかと思います。しかし、マジュンガトルスというのははじめて聞く名で、そういえば私が以前いった『世界最大の恐竜博』では中国での新発見がちょっとした目玉になっていましたが、最近ではそうした新種発見の現場がマダガスカルに移ったのかも知れません。しかし今回の博覧会では、中国モンゴルからの発掘品も次々と並んで、その呼び名も羽毛恐竜。しかし彼らが最もクローズアップされるのは、もっと時代が新しくなってから。後半であろうかと思います。
タルボサウルスは、全身骨格と頭部標本が展示されていて、なにが驚くといっても実物なんだそうな。いやあ、こんなの複製でいいじゃんか、と考える私はちょっと変わっているのかも知れません。だって、運搬で壊れたりしたらいやじゃないですか。
実物というだけでむやみに人を興奮させるものがあります。巨大な体躯、巨大な頭に尾。それらに比してあまりにも小さすぎる腕。こうした特徴は大型獣脚類に顕著で、当然タルボサウルスにおいてもかわりありません。タルボサウルスは巨大で、見るものを圧倒する迫力に満ちていて、これらがかつてアジア、中国大陸北部に生息していました。頭骨の構造の違いから、ティラノサウルスとは異なった食性を持っていた可能性が指摘されていて、しかし具体的になにを食べていたかは諸説紛々、わかっていないんですよね。獰猛な捕食者であったか、あるいは死骸を食べるスカベンジャーであったかに関しても明確でなく、この明確でないということが恐竜の魅力なんだろうなあと思います。
さて、タルボサウルスがいくらでかくて立派といっても、その脇には本博覧会の主役ともいえるティラノサウルスの全身骨格標本がどんと控えているものだから、どうしてもそっちばっかりが気になってしまいます。けれど、私はなにぶん好きなおかずは後に残しておきたいたちで、しかもタルボサウルスも結構嫌いじゃないときていますから、ここはぐっと目移りするのを押さえ、タルボサウルスをしっかり堪能してから、いざティラノサウルスですよ。
ティラノサウルス。今回やってきた標本は、第一発見者であるスーザン・ヘンドリクソンの名をいただいて、スーと呼ばれているものです。全長12.8メートル、骨格だけで二トン弱あるとか。それが、フロアにどかんと置かれていて、大迫力ですね。たくさんの人がひしめき合うようにして見ていて、あちらこちらで写真撮影。そりゃ、これだけのものですから、写真に撮りたい気持ちもわかりますよ。ところが私はというと、写真撮影可ということを知りながらもカメラを持っていかなかった。なんでか? 私は、機械の力を借りてではなく、自分の目でもって、この中生代の生物たちとの出会いを心に留め置きたいと思ったからです。私は、かつて見た恐竜化石を、まざまざと思い起こすことができるのですが、願わくばスーにおいても同様に対したかった。ええ、私はこの日、あの場に立ちあったという実感を、この先もしっかり持ち続けることだろうと思います。
さて、来日したティラノサウルスはスーだけではありませんで、トーマスの歯、スコッティの頭部。他にも糞石なんかもありました。解説パネルも詳細で読みごたえがあったのですが、さわって学べる複製標本も用意されている、多様な見せ方は面白かったです。
ティラノサウルスを越えると、もう後は小型獣脚類の世界で、けれど本博覧会においてはここからが本番ともいえます。最近では一般にも広く知られるようになった羽毛恐竜の世界と言い換えてもかまわないかと思います。ティラノサウルスおよびタルボサウルスの展示の前に紹介されていた羽毛を持った獣脚類は、シノサウロプテリクスやディロングであり、ですがこれらは、復元画を見るかぎりは毛を生やしたトカゲといった感じで、鳥への接近は顕著ではありません。
ですが、ティラノサウルス以降の展示においてはがらりと様相を変えて、前肢には羽毛どころか羽が描かれていて、あるいはこのあたりの表現は恣意的なものがあるのかも知れないとも思ったのですが、実際これらマニラプトル形態にいたった恐竜には羽軸を持った羽毛(正羽)が確認されるとのことで、だからこれら復元画にはそれなりの根拠があるというのでしょう。インゲニアなどはその顔つきからはオウムを思わせるし、他の恐竜にしてもより鳥臭い復元がなされていて、私が子供だった頃の復元を思えば、隔世の感があります。
私が子供のころに見ていた図鑑なんかでは、獣脚類はそもそも直立に近く、尾を引きずるかたちで描かれていました。ごつごつとした、爬虫類そのものとしか言い様のない皮膚。その当時は大型恐竜こそが人気で、小型恐竜なんてのはほとんどクローズアップされなかった。オルニトミムスが精いっぱいだったんじゃないでしょうか。けれど、これら小型恐竜にしても羽毛が生えているだなんて復元は皆無で、あの頃羽毛をもって描かれたのは本当に始祖鳥くらいでした。
それが今は羽毛恐竜が当然のように語られて、しかも、その証拠となる化石が発見されていて、私は実際この博覧会で始めてその化石を見たのですが、正直かすかな興奮を覚えました。
そして、最後の展示室には、鳥になろうとした恐竜と、すでにほとんど鳥になっていた恐竜の末裔が対比されていて、両者は見た目にはそれほど違いはないのですが、実際には極めて異なる道をたどった模様です。この博覧会でその進化の様を追ってきた恐竜たちは、鳥としての性質を獲得しつつあったものの、かの大絶滅によって絶滅。我々の知る鳥にはなれなかったのではないかと、そのような説もあるようなのです。
私が子供のころ、原始の鳥として異彩を放っていた始祖鳥――アーケオプテリクスはこの博覧会にも見ることができて、ですがその姿は、これまで見てきた、岩盤に埋め込まれたような姿ではなく、綺麗な全身骨格の復元標本でした。始祖鳥が生活していた時代はジュラ紀後期であり、その登場の早さから考えれば、羽毛恐竜を生むにいたったディノニコサウルス類出現よりも早く恐竜から鳥への道を進みはじめていたはず。今、私たちが見る鳥の祖先はこうしたいち早く恐竜を脱したものたちであり、だとすれば羽毛恐竜たちは、遅れて鳥になろうとして、しかしあの大絶滅で消えてしまった――。いや、これもひとつの説に過ぎません(詳しくは図録を参照のこと。私の説明はなにしろ適当にはしょってるので、鵜呑みにしてはいけない)。
図録によれば、大絶滅で恐竜は全滅。鳥類にしても七割を超える科が絶滅したとのことで、想像を絶するような大異変があったのではないかと想像できます。
羽毛恐竜の末裔たちは、主に中国で発見されているようで、身体を丸くして眠る姿を化石に残したメイ、尾を長く伸ばし羽ばたくかのような姿を残したミクロラプトルはじめ、ペドペンナ、シノベナトル、シノルニトイデス、これらは皆中国での発掘の成果です。そして鳥類や真鳥類として分類される中生代の鳥たちも中国から見つかっており、今中国はかなりホットなポイントになっているようです。
しかし、大異変を見事乗り越えた鳥がいて、しかしその陰には消えたものたちもいて、生物の進化の道筋とは非常にシビアで険しいものであったのだと思いました。もし次の大異変を迎える日が来るとして、人類は苦境を乗り越える種であるのか、それとも消え行く運命に飲み込まれるのか。私たちが恐竜という絶滅生物にこんなにも心引かれてならないというのは、彼らの来し方に自分たちの行く末を知らず重ねてしまうからではないかと、そんな風に思われてなりません。
始祖鳥が「鳥」の名を返上? 長く最古の鳥とされてきた始祖鳥が、実は鳥ではなく恐竜だった可能性が強まった。
こんな記事が今朝の新聞に載っていて、いったいこれはなにかというと、長く鳥の祖先として扱われていた恐竜が、鳥ではなくまさしく羽毛恐竜であったと、そういう説が米科学誌サイエンスに発表されると、そういう話なのだそうです。
わあ、これ、こないだいった恐竜展の説明ともまた違ってくるよ。って、説はいくらでもあるものですし、こうしていろいろな説がたたわされることで、いつか真実に近づける日も来るのではないかと、そういう話ですから、まさに科学のロマンです。ロマンですね。
さて、いったいなにがどうして始祖鳥が鳥から恐竜に分類分けされそうになっているのかというと、こんな風な話だというのです。
ドイツで発見された状態のいい始祖鳥の化石を見てみれば、脚の親指が恐竜と同じ前向きだった
。これまで始祖鳥を最古の鳥としてきた根拠にはこの親指の向きというのが大きかったらしく、従来は現代の鳥類と同じ後ろ向きと考えられて
いた。しかし、鳥類に分類する最大の根拠
であった足の構造が鳥とは異なっていたとわかって、始祖鳥は鳥から恐竜に移行する可能性が出てきた。そうなると、原始の鳥が出現したのは、ジュラ紀後期ではなく白亜紀前期だったんじゃないかと、そういう考えが出てくるのも当然の成り行き。
いずれにせよ、私や、今回の恐竜博に興味を持った人には、なかなか見過ごしにはできないニュースなのではないでしょうか。とりあえず私は、スクラップして保存しておこうかと思います。
博覧会を見終わって、今回、恐竜博にいこうと思ったきっかけである恐竜フィギュアを入手すべく、出口側の特設ミュージアムショップにいってみると、フィギュア引換は一階のショップでという返事でした。平日券でもらえるフィギュアは果たして販売されているフィギュアとは別物なのか、興味が先にたち聞いてみれば違うとのこと。それなら会場限定販売というフィギュアも買わねばなりませんが、残念ながら骨格モデルは売り切れており、売られているのは復元モデルだけとのことでした。
平日券でもらえるフィギュアと売られているフィギュア。フィギュアを買うなら買うで、いったいどれくらい違うものなのかをまず確認してからにしようと、図録だけを購入。図録は展示品の一覧により詳細な解説を加えて、なかなか読みごたえのありそうな感じです。
一階に降りて、するとそこでも図録を売っていたから、なんだ、一度に買えばよかった。それはよいとしても、特設ミュージアムショップはさまざまな商品があふれて、恐竜のモデルは精巧なものからコミカルなもの、さらにはぬいぐるみといった感じで何種類もあり、限定ゾイドやなんかも結構売れているようでした。もちろん本も売られていまして、ですがここで散財できるほど手持ちはないんですよね。なのでそうしたものは一瞥するだけにとどめ、まずはフィギュアを引き換えてみたのでした。
平日券でもらえるフィギュアはずいぶんと小型のもので、ですが復元モデルと骨格モデルがペアになってるのはちょっと嬉しいところです。でも、これだけじゃやっぱり物足りない、せっかくだから復元フィギュアを買っておきましょう。
しかし、正直今回の目的であったフィギュア購入が中途半端になってしまって、なんだか煮え切らん気分です。そんならいったい私はどうしたらよいんでしょう。
どうしたらいいのか。そんなのはもう単純なことで、もう一度、フィギュアを買いにくればいいんですよ。さいわいフィギュアは大阪での会期中に再入荷するそうですから、それが23日ごろの入荷という話ですから、余裕を見て26日あたりに自然史博物館にいけばいい。ついでに植物園を見て博物館にも入ればいいかと、それならわざわざ長居までくる意味もありそうです。
26日土曜日、昼にさしかかろうかというくらいの時間に博物館に着いたのですが、長蛇の列ができていて、さすが、恐竜は人気があるのだなと実感しました。行列の最後には75分待ちのプラカード、けれど今日の私の目的は恐竜フィギュアですから、行列を尻目にミュージアムショップへと急ぎました。
ところがですよ、復元フィギュアばっかりが並んでいるのです。もしかしたら入荷が遅れている? 明日またこなきゃいかんのか、いやあるいは北九州市までいかんといかん? いや、そんな馬鹿な話はないよなあ。
というわけで、骨格モデルのフィギュアはないんですかと聞いてみたら、ありますよという答が返ってきてひとまず安心しました。
こうして購入にこぎ着けた恐竜フィギュアは、仲良く棚に収まっています。
ついでに、この日にいった植物園と自然史博物館についても少し書いておきましょう。
植物園はずいぶん久しぶりで、しかし11月も終わろうという時期です、それほど花も咲いておらず、冬を間近にしたちょっと寂しげな風景の中を歩く、そんな風情でした。
案内板で私を捉えたのは、他でもない第三期植物群と氷期・間氷期植物群でした。第三紀というのは白亜紀が終わった次の時代で、氷期・間氷期というのはさらに次の時代第四紀の氷河時代を指しています。
私は知らなかったのですが、1943年に中国は四川省で現生種が発見されるまで、メタセコイアは絶滅していたと思われていたんですね。メタセコイアは私にとってはちょっと思い出深い植物で、というのはですね、ドルアーガの塔というゲームがあったのですが、そのゲームブックにおいて結構重要な役割を果たす植物だったのです。メタセコイアの葉という、実に謎めいたアイテムがあって、しかし私はすっかりメタセコイアの葉を誤解してしまっていました。それこそ、セコイアの木というのは世界最大というセコイアオスギを思い出させて、なんといっても巨大な植物という印象が強い。だから、きっと葉も大きいに違いあるまいと思っていたんですが、よく考えたらスギ科の植物です。そんなに大きな葉がつくはずないですよね。実際、メタセコイアの林には葉がまとまって落ちていて、見れば細かな葉が生えた、ささやかなものでした。けれど、これが生きている化石といわれているんですよね。ちょっと感動でした。
咲いていた花で印象的だったのは、バラです。バラ園にいけば、さまざまな品種が咲いていて、鮮やかな赤、紫がかった青、白バラも黄バラもあり、バラはやはり絢爛ですね。その後ハーブ園にいって、ハーブとかが売られていたらいいなと思ったのですがそういうことはやっていなくて、代わりに白菜や大根が植わってるのを見つけました。けど、これはあくまでも植物園のものですから、収穫したりはしなさそうです。白菜は立派に葉が開いてしまっていて、後他には人参とかもあったかなあ。
後は菊がちらほら。菊は花と緑と自然の情報センター二階にも展示されていて、これは恐竜博の帰りに見ていました。他にも盆栽展なんかもやっていたっけ。これらは植物園がというよりも、市民が栽培していたものを展示しているという感じであったのですが、ああした、植物を丹精込めて育ててというのはなかなかよい趣味なのではないかと思います。
けど、私には無理だな。私は自分の世話もままならないから、きっと植物だったら枯らしてしまいます。
恐竜博はざっと二時間ほどかかったから、自然史博物館も同じくらいのものだろうと思っていたら甘かった。それほど大きくない、それほど展示品も多くないこぢんまりとした博物館と思っていたのに、実際入ってみたら細々といろいろな展示があって、大阪に入ってくる外来生物や、大阪に住む生物の展示室ですでにかなりの時間を費やし、しかし参ったのは次の室。我々が暮らす現代をスタート地点(第一室)して、氷期、間氷期の生物、植物を展示してみせて、植物園の構成は博物館に繋がっているんだと合点が行きました。
どんどん昔にさかのぼっていく展示室の真ん中には巨大な化石、象やワニ、デスモスチルス、そして恐竜が林のように立ち並んでいて圧巻。周囲の壁沿いにも展示は怠りなく、貝や魚、化石の類い、とにかくたくさん、たくさんありました。
私が一番時間をかけてしまったのは、この第二室ですね。カンブリア紀までさかのぼるのに二時間くらいかかったんじゃないでしょうか。もう逐一標本を見、説明を読み、後からきたのに追い越されてもめげずにゆっくりゆっくり進んで、壁際の展示を見終えて中央の化石の林へと移動。巨大生物が昔日本にいたことに感動。マチカネワニは大阪大学のある待兼山で発見されたからその名があり、ロビーの壁面にもその姿をさらしています。そして、工事現場から出たという象も驚きで、こんなの、工事中に出るんだ。かっこいいなあ。
恐竜博の絡みでいえば恐竜の化石を忘れるわけにはいけません。恐竜化石、アロサウルスの全身骨格は実に象徴的な直立ゴジラスタイルです。尾もちゃんと引きずっていて、公開中の恐竜博で見られる、前傾姿勢、尾を引きずらないスタイルでの復元とは違う、昔の姿をとどめていて、懐かしさに胸が熱くなりました。微妙な気分でもあるのですが。そういえば、アロサウルスの頭骨とだけ書かれて、肝心の標本がなかったのは、恐竜博に貸し出されていたんでしょうか。確かに恐竜博にアロサウルスの頭骨はありましたし、ですが図版を見ると北九州市立いのちのたび博物館と書いてあって、あれ、あれって大阪市のものじゃなかったのか。大阪のだと思ったんだけど、勘違いだったのかな。
第二室を出て二階に上がり、ちょっと鉱物標本を見てインターバル。その後、昆虫についての展示や脊椎動物の展示が充実した第三室に入り、これもまた見て楽しいものでした。見上げれば大きなクジラの骨がどーんとつり下げられてきて、落ちてきたら死ぬな。室のあちこちにあったホルマリン漬けの標本が妙にうすら白く不気味で、壁面に取り付けるためにはられたテグスが食い込んでいるのもちょっと気味悪く、ものによってはホルマリンが足らなくなってしまっていて、お願いですからつぎ足してあげてくださいと思った。でも、こういう標本を見ると、小学生時代、理科室の片隅にほこりをかぶっていた瓶とその中身を思い出して、私の理科の原風景には確かにこうしたホルマリン漬け標本はあったのだと、理科が好きだった子供時代に意識が飛んでいきますね。
最後の室は小さくて、野菜がいろいろ置かれていて、ちょうど子供を集めてワークショップも開かれていて、帰り際の子供がにぎやかでした。
こうして植物園、自然史博物館を見終えて、時間はもう四時にさしかかろうという時間。そういえば、お昼食べてなかった。恐竜博の開かれるネイチャーホール下のレストランで、カルボナーラとピラフを食べて、ちょっとわんぱく気分の一日を終えたのでした。