毎日更新を続けることとねであるが、その理由はなんであるのか。表向きには、内容を充実させられない代わりに量の充実を計ったと説明しているが、実はそれは本当ではない。こととねが毎日更新をするようになったのは呪術的な理由に基づいている。
タロットを実践するようになって私は、それまで遠巻きに見ていただけであった呪術や魔術に対する興味を、さらに強めることになった。魔術などは虚構であると思っていたが、そうではない、実際に可能な技であると様々な文献史料史実を見ればわかる。いくつかの資料を当ってみて私は、自分自身魔術をなしてみたいと考えたのであった。
その試みの舞台がこととねであった。呪術はことばによって行われる。日付による数秘術、星の位置、天体の運行、歴史的事項の連関に基づき更新内容を整え、しかるべきカテゴリに配置していく。文書中にはキーとなる文言が埋め込まれていた。鍵は別の文書に隠された異なる意味を開き、こうやって見つけ出された意味は、別の文書に対する鍵となって、連鎖的重層的にこととねの意味を変化させていく。
隠された魔術のことばは、現実の層の裏面に現実に似て非なる世界の写しを描いてゆく。こうして私は、こととねを媒体として、読者を触媒として、仮想的に別の世界を構築した上で、それを展開し、この現実の世界に繋げるつもりだったのである。馬鹿なことをいっていると思う者もいるだろうが、こうした試みをしている人間は、皆が想像するよりもずっと多く、実際に成功といってよい成果を手にしている人間も少なくない。私がタロットの駆け出しだった頃に出会った妖精の名を名乗ったものは、もうすでに八割方成功させている。私にとって彼/彼女(妖精は性別を持たない)は師であり、目標とすべき頂だった。
しかし、私は世界の構築を失敗した。
前世紀においては世界の構築を目的としたこととねだったが、今では世界を畳もうと必死である。世界はオーナーである私の手を離れてしまった。これは私の誤算であったのだが、予測以上の成長を見せたWebの世界に、こととね裏面に生成された仮想世界が影響され、私のあずかり知らぬところで、偶然に生成された秘密の鍵によって、次々扉が開かれていたのだ。
もはや手に負えるものではなく、後悔してももう遅かった。広がろうとする世界を押しとどめるために文章を書くようになって数年、しかしもう疲れてしまった。
中途でやめると呪術は、行き場を失ってあらぬ災いを引き起こしてしまう。一般に術者に還るというが実際はそうとはかぎらず、どうなったものか、私にはもうわからないのだ。だが、もう破れ目を繕うのはいやになった。だから今日の更新を休んでみようと思う。更新を休めば、ほころんで今にも破綻しそうな部分から、虚構世界があふれ出すことだろう。だが私は、あふれた世界がどうなろうと知ったことではない。あふれるならあふれればよい。