落ち込んでいる人、苦境にある人に「がんばって」というのはいけない。今を精一杯にがんばっている人や、がんばろうと思いながらもがんばれないで苦しんでいる人を追いつめてしまうからだ。私自身もそうした経験があり、また人を傷つけてしまったこともあり、しかしこの「がんばって」を封じられてしまうと困るのも事実。誰かを応援したいと思ったときに、なんといったらよいかわからない。それくらい「がんばって」は私たちの言葉に染みついて、それはもはや自動的でさえある。
しかし自動的である言葉のどこに、人の心に働き掛けうる力があるというのか。紋切り型の決まり文句は、その場をしのぐには有用でも、思いを伝えたいときにはなんの役にもたたない。だから私は「がんばって」以外の、人を励まし応援する言葉を探さないといけない。
仕事に対し厳しい言葉をかけられたらしく、詫びている人があった。その様を見て私は驚き、というのはその人の仕事は多くの期待に応えられるだけの質があると思っていたからで、声をかけずにいられなかった:あなたの仕事は立派であると思います。がんばっていることはその出来から伝わってくる、あなたはがんばりすぎる性質のようであるから、不真面目なくらいでいい。がんばりすぎないほうがいい。
しかし、そんな風にいっておきながら、最後にはお定まりのお体に気をつけて、そして「がんばって」くださいだ。
私は自分の言葉の矛盾に赤面した。人を励ます言葉として「がんばって」以外を持たない自分が恥ずかしかった。がんばっていることをわかっているといいながら、同じ口で「がんばって」をいう無神経がいやになった。
「がんばって」以外にもあるはずの言葉が見つからなかった。仕事の出来を褒めることはできる。だが、仕事への取り組みを評価するときにはどういえばいいのか。いったいなんといったらよかったのか。考えて、いまだわからないというのが情けない。