4月25日にJR宝塚線塚口尼崎駅間で起こった脱線事故は、電車に関わりの深いわが家ではかなりの衝撃をもって受け止められている。というのは、うちには動力車操縦者運転免許所有者がいるからで、つまりそれは電車の走行や構造、そしてもちろん運転に関する知識や経験があるということを意味している。そうした人間にとっては、例え今、直接に鉄道に関わりを持っているわけではなくとも、鉄道事故は他人事とは感じられないものであって、実は私にしてもそれは同様。どこか他人事ではないという気がしてならない。
今回の事故原因は現時点ではまだはっきりとはせず、複合的要因であろうという見方が優勢である。置き石があった可能性は、まずなかろうと思いはするが、完全に否定はできない。だが、色々詳細はわからないまでも、あれほど事故被害が拡大したのは、制限を大幅に超過していたという走行速度のためだろう。高速度でカーブに進入すると、電車が浮き上がるように感じるらしい。そうなれば運転士は反射的にブレーキをかけるから、車輪がロックされたことによりフランジと軌道の摩擦が増大し、車輪が浮き上がったと見る専門家の意見は非常に説得力があると感じる。しかし、こうした、正しい知識や分析に基づいて話している専門家がいる反面、いい加減な知識を振り回す半知識人やコメンテーターがどれほど多いことか。こうした輩の放言には、聞いていて腹立ちがおさまらなくなる。
今回の事故の原因のひとつと考えられる速度超過についてのコメントはとりわけひどかった。鉄道会社のダイヤ厳守を求める体質が問題であるという意見には聞いてあきれる。そもそもなぜ鉄道会社があれほど時刻通りの運行をしようとするかを考えてみろというのだ。乗客が求めるからだ。ほんの一二分の遅れに怒鳴りつけてくる客がいる。連絡がうまくいかず、乗り遅れてどうのこうのと執拗なクレームを繰り返す人間も跡を絶たない。鉄道の定刻運行は、乗客が第一に求めるサービスのひとつであるのだ。それを差し置いて、ダイヤ厳守主義の責任があたかも鉄道会社だけにあるようにいうのは解せない。
件のコメントには、ダイヤ厳守よりも乗客の安全を考えて欲しいものですねという、どうにもおかしな続きがあって、一体この無責任な発言はなんだ。鉄道に携わる人間は、いうまでもなく安全を第一のものとして考えている。定刻運行よりも無事故であることが優先であることは、誰もが諒解しているのである。
今回の事故に関して、第一であるべき安全への意識が希薄だったのではないかという批判を避けることはできないだろう。しかしだ、起こってしまった事故と、その事故につながったことごとにおいて鉄道会社の責を問うならともかく、ありもしないことで責めるのはいかがなものだろうか。繰り返しいうが、鉄道は安全第一を旨としている。ダイヤグラムが安全よりも優先されることなどありえない。