京都は朝から雨。それも結構な降り。雨が降るといつも妹の詩を思い出してしまいます。
妹よ 妹よ 今夜は雨が降っていて 妹よ 妹よ お前の木琴が聴けない
ってやつ。昔学校の教科書で読んで、ずっと頭の中に残っています。
木琴について調べていたら、思わぬ偶然で次のような話を見つけました。もともとは2ちゃんねるの書き込みだったらしく、去年の七月ごろに書き込まれたもののよう。
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。 どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。 何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく 「どうすればいいの?」って聞いてきたが 「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。 さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。 そしたら「・・・ごめんね」と一言。 そんな母が先日亡くなった。 遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら 俺の寝顔が写ってた・・・涙が止まらなかった。
いつも思うのだけれども、後悔しないように生きるというのは難しい。私は祖母の亡くなったときに後悔して、人間はいつもそこにある、あり続けると思うものを粗末にしてしまうことが多いから、失われたときの後悔はいつも深い。できればやり直したいけど、時間は不可逆だからそれはかなわない。
自分は失われるものへの執着がものすごく、人の死に関してなどは強烈に揺れてしまう。私はいつも時間が今でとまってくれればなんて思うけれども、それはどうしても無理な話だから、今を引き伸ばすでもなく、よりよい明日を探すでもなく、淡々と暮らしていて、けどいつか仕合せな今が終わることはわかっているから内心かなしくて仕方がありません。数年前から。ずっと。
いつか父も母も死ぬのでしょう。だから、生きている間くらいは、私の生きている間くらいは、優しく接したいものだと思います。少なくとも、後悔しないくらいには。でも、それでもいつか来る日には、後悔はつのるだろうと思います。
すまん、朝から暗い話で。そもそも、木琴の時点ですでに暗い。
(初出:2006年5月13日)
金井直『木琴』