日本の空は電線でいっぱいだ。街中、見上げれば一体どれほどの電線が目に映るだろう。しかしすっかり慣れてしまった私たちは、いちいち気になどしない。電柱にしても同じで、荷物が多ければ邪魔だなあくらいは思う。しかし、歩いていていちいち電柱のあることを気にする人がどれくらいあるだろう。試しに、自宅に一番近い電柱はどこにあるか思い出してみるがよいよ。私は思いだせるよ。昔、車庫入れに失敗して、前輪の泥よけを凹ませたことがあったから。しかし思い出せるのはここまでで、次の電柱はというとさだかではない。とまあこのように、電線電柱はまるで存在していないかのように空間に溶け込んでしまっている。
写真を再び撮るようになって見方が変わった。これまで目にはすれど見ていなかった電線の存在に気付いてしまったのである。フレーム内に電線がびしばしと縦横無尽に走っている。その様が非常に効果的に見えて、それ以来私は電線を意識的に捉えるようになった。
外国人が日本に来て思うことのひとつに、電柱電線の多さがあるのだそうだ。私はかつてこれを恥だと思っていた。街の美観を考えることなく張り巡らされた電線。都市の景観、生活の場の美しさのためには、電線など不要である。埋設してしまえばいいのにと思っていた。しかし、あの頃あれほど憎んでいた電線を、今は好んで写真に撮っている。
電柱そして電線というのは、日本の風景には欠くことのできない要素になっているのだと思う。大量の線が空を横切って、各家々に引き込まれていって、場所によっては非常に複雑に入り組んで、幾何学的な美を生み出している。夕暮れ空には電線がよく似合って、街の空を引き締めるアクセントとして、また構図を分割する線として働いてくれる。強調されるパースペクティブ。視線を導くライン。これらがなくなれば、きっと日本の空はつまらなくなる。だから私はもう電線をなくすべきだなどとは考えない。