習字七年目

[三宮往終列車] 習字をはじめてもうどれくらいになるのだろう。二千年の文章に二年目と書いてあるから、はじめたのは多分1999年。あの頃は確か学校を出て、行き先定まらずふらふらと、司書の資格を取ろうとスクーリングに通ってみたり、そんな頃だった。それから七年ほどが過ぎて、一度身を固めようかと思ったこともあったけれどかなわず、まだふらふらしているというのが驚きだ。

 そしてもうひとつの驚きは、私の習字歴が七年目に入っているということで、その割りにはうまくない、というか、有り体にいってまずい。理由はわかっている。身が入っていないからだ。それはそれなりに真面目に書いてはいるのだが、毎日書くわけでなし、なにか具体的に目標を持つでもなし、毎月の課題を週に一度習って提出してそれだけ。これでうまくなるわけはない。

 筆を新調した。これまで使っていた筆は、だんだん穂のまとまりが悪くなって、書きにくいなと思っていて、だから思い切って筆をあらためて、そうしたらやっぱり書きやすさが違う。いらないところに気を配る必要もないから、書いた手がそのままに字にあらわれて、つまりまずいところはそのまままずく出るわけで、正直なところ、まいったなあとへこたれそうになる。これでもうまくなっているのは間違いなく、しかしスタート地点が悪かった。私の場合、ゼロからのスタートではない。子供時分から育ててきた悪筆を背負っての、いわばマイナスからのスタートで、目と手に美しい字というものがないものだから、どうしてもうまくならない。いや、それでも多少はましになった。人に見せられる字になった。しかし長く培った癖というものは抜き難く、だから私は気を抜くとすぐにでも悪筆に戻る。気を抜いてはいけないというのに、不用意な私は簡単にそれを破ってしまう。

 新しい筆を記念して一筆書いてみた。書いた内容に意味はなく、しかしこうして見てもメリハリがなくって気落ちするなあ。


日々思うことなど 2006年へ トップページに戻る

公開日:2006.03.08
最終更新日:2006.03.08
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。